幕末の明君と称される越前福井藩の藩主 松平春嶽は、「私には優れた才能も知恵も特別な力もない、常に人々の言葉に耳を傾けよろしきところに従う」という謙虚な言葉を残していますが、
当時、脱藩浪士に過ぎなかった坂本龍馬が訪ねてくれば面会して話を聴き、幕臣の勝海舟に紹介して龍馬に活躍の糸口を与えるなど、未来に向けた種蒔きを幾重にも行った人物でした。
幕府の混迷期には政事総裁職を務めるなど時代の動乱の中にあって、春嶽が目指したのは、大名達がともに参画する議会制度の導入でした。
有能な人材を広く登用し、農民や町民からも議員を採用すべきという先進的、開明的な考えで、薩摩・長州藩と幕府との無益な武力衝突を回避しようと戊辰戦争開戦間際まで奮闘しています。
そんな春嶽が新政府の要職につき、岩倉具視から任されたのが新元号の選定でした。学者による複数の案から春嶽が選定した三案を籤にして上げ、天皇が自ら引いて「明治」と決定。
出典となった易経の「聖人君子が天下万民の声によく耳を傾ければ、世は明るく平和に治まる」という一節は、春嶽の残した言葉に重なるものが感じられます。
古来、人々の願いや希望が託されてきた元号。
間もなく私達の新たな時代が始まります。