明治新政府の官費留学生として渡米した山川捨松が11年もの留学生活を終えて帰国したのは明治15年。
アメリカの名門大学を優秀な成績で卒業し、フランス語やドイツ語も堪能な聡明な女性に成長した捨松でしたが、待ち受けていたのは、働く場もなく、二十歳過ぎは婚期を逃した売れ残りとする明治社会でした。
そこへ持ち上がったのが、伯爵で陸軍トップの大山巌との縁談でした。
スイスに留学し語学堪能であった大山。
ところが、かつて会津藩の家老の娘であった捨松は、戊辰戦争で官軍の猛攻撃を受けた際に、家族と城に立て籠もって戦いましたが、このとき西郷隆盛の従兄弟で薩摩藩の砲兵隊長として城を攻撃したのが大山だったのです。
山川家は直ちに縁談を断ります。
しかし、捨松にひと目惚れしたという大山が粘りに粘り、捨松がデートを提案して二人は会うことに。
日本語が心許ない捨松と薩摩なまりの大山、しかも年の差18歳。
そんな二人が心を通わせたのは、なんと英語による会話でした。
そして大山の人柄に惹かれた捨松は「家族に反対されても」と結婚を決意するのです。
伯爵夫人となった捨松は鹿鳴館の華と謳われ、大山を支えて大活躍。
明治維新がもたらした試練と出会いは、新たな夫婦の姿を描き出したのです。