巨大地震と津波の発生が懸念されている南海トラフは、これまでにも度々大きな地震を発生させていますが、1854年11月5日に発生した安政南海地震では、津波に襲われた紀州藩広村、現在の和歌山県広川町に、津波から多くの人を救った「稲むらの火」の逸話が伝えられています。
164年前のこの日、醤油造りを営む濱口家の当主梧陵は、襲来した津波にのまれるも必死に逃れ、夜の闇の中、逃げ遅れた人々のために稲の藁の山に次々に火を放って燃やし、安全な高台への道しるべとして多くの村人を救ったのです。
さらに、莫大な費用が掛かる堤防の築造を藩に申し出ると、私財を投じて取り組みました。
それは津波で家を失い田畑を失った村人達の救済と、再び襲来するであろう津波から村を守るためのものでした。
「住民百世の安堵を図る」という言葉を残した濱口梧陵。
広村の堤防が昭和南海地震の津波から人々を守ったのは昭和21年。
安政南海地震から92年後のことでした。
広川町の人々は、梧陵の思いと堤防を今も大切に守り伝えようと、毎年11月には津浪祭を行っています。
また11月5日は「津波防災の日」さらには国連によって「世界津波の日」に制定され、「百世安堵」の梧陵の志は世界へと広がっています。