明治を代表する文学者、夏目漱石と正岡子規は学生時代に同級生として出会い友情を育んだ親友で、また文学的才能を高めあった盟友でもありました。
しかし出会った頃、子規は肺結核と診断され余命十年を覚悟したといわれ、漱石がイギリス留学中に子規は亡くなります。
それから4年後の明治39年、漱石は「吾輩は猫である」の第2巻を出版。
その序文に留学中に届いた子規の最後の手紙を紹介しています。
「いつかよこしてくれた君の手紙は非常に面白かった。近来僕を喜ばせたものの随一だ。僕が昔から西洋を見たがっていたのは君も知ってるだろう。それが病人になってしまったのだから残念でたまらないのだが、君の手紙を見て西洋ヘ行ったような気になって愉快でたまらぬ。もし書けるなら僕の目の明いてる内に今一便よこしてくれぬか。倫敦(ロンドン)の焼芋の味はどんなか聞きたい。」
子規は明るく綴る一方で、「僕はとても君に再会するは出来ぬと思う」と別れの言葉も書き綴っていました。
この手紙に返事を書かなかったことを深く後悔していた漱石は、序文で「吾輩は猫である」を子規の「霊前に献上」すると述べ、作家夏目漱石の第一作を亡き盟友に捧げたのです。
今年、二人は揃って生誕150年を迎えています。