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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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2017年6月17日「モースが見た日本」

明治10年のきょう6月17日、横浜港に着いた船からアメリカ人の動物学者が日本に上陸しました。
そして横浜駅から新橋駅へ向かう汽車の窓から、貝殻が幾重にも積み重なっている崖を発見。そう、大森貝塚を発見したエドワード・モースです。

モースといえば大森貝塚が有名ですが、功績はそれだけではありません。
ダーウィンの進化論を初めて体系的に紹介し、日本の人類学、考古学の基礎を作ったのはモース。
当時設立されたばかりの東京大学に請われて教授になりますが、ほかの外国人教授の大半が何の実績もないインチキ学者だと見破ったモースは、日本人講師と協力して彼らを追い出し、専門知識を持つ外国人教授の招聘に尽力。
さらに2,500冊の本を集めて東大図書館の基礎を作りました。

また、大学での講義や研究の合間を縫って、日本各地に標本を採集する旅行をし、多くの民芸品や陶磁器を収集。
日本の庶民の風俗や暮らしぶりを多くのスケッチに残し、そのスケッチを元に執筆した本の中で、日本の街の清潔さ、人々の正直さ、礼儀正しさ、心遣いに敬意を抱き、そうした気質が上流階級から庶民にまで及んでいることに感動しています。

学者として客観的で冷静なモースが見た明治日本は、貧しくても限りなく美しい国だったのです。