これから新米の季節ですが、今年還暦を迎えているのがブランド米の代表コシヒカリ。
その誕生には様々なドラマがありました。
ルーツとなる品種の開発が始まったのは戦前でしたが、開発途中のコシヒカリは、味は良いものの病気に弱く倒れやすいなど栽培が難しい劣等生でした。
しかし可能性を信じて奮闘したのが福井県農事試験場の石墨慶一郎氏で、幾度も苗を捨てようかと迷いながらも諦めずに改良に取り組み、全国の試験場に試作を依頼。
すると新潟県農業試験場の杉谷文之場長が「栽培法でカバーできる欠陥は致命的欠陥にあらず」と、魚沼など農家の人々と共に強い熱意で取り組み、職員の國武正彦氏は「鳥もまたいで通る」と酷評されたこともある新潟米を美味しくしたいと県の奨励品種にするため奔走するのです。
農林省新品種候補審査会では劣等生の品種登録に議論が紛糾しますが、ついに「農林100号」で登録が決定したのが昭和31年。
「越の国に光り輝く稲穂」となるよう願って「コシヒカリ」と命名されたのです。
名付け親の國武氏は、その後研究を重ね、コシヒカリは多くの地域で誰もが栽培できるブランド米となったのでした。
多くの人々の熱意と努力のリレーが、今日もどこかで美味しいひと椀のご飯となっているのです。