TOPページへアーカイブへ
提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
←(2016年8月28日「シンシアとともに」)
(2016年9月11日「旧石器時代の財宝」)→

2016年9月4日「首相になったピアニスト」

「ピアノの詩人」と呼ばれるショパンを生んだポーランド。
そのショパンが世を去った11年後の1860年、ポーランドに二人目のピアノの巨匠が生まれました。
イグナツィ・ヤン・パデレフスキです。

20代半ばにウィーンでデビューしたパデレフスキは、その優れたテクニックと比類ない格調と気品に満ちた演奏で名声を博し、その人気はヨーロッパ各国、米国へと広がっていきました。
しかも世界各地での演奏旅行で得た収入を、第一次世界大戦に苦しむ祖国ポーランドを救済する基金などに当て、独立運動にも参加。
やがて政治家に転身し、1919年には独立ポーランドの首相と外務大臣を兼務します。
さらに1922年にはピアニストとして復活。
第二次世界大戦中は米国で演奏活動を行いながら、ポーランド亡命政府を支援しました。

音楽家として政治家として祖国のために活躍したパデレフスキは、演奏会でひとつのスタイルを貫きます。
当時は貴族のサロンで開く演奏会の名残りで、聴衆が演奏中に平気でお喋りをする習慣がありました。 それがどうにも我慢できません。
そこでパデレフスキは聴衆の中から私語が聞こえると即座に演奏を中断。
「お喋りが済むまで待っています」と客席に呼びかけました。

聴衆が演奏に集中するようになった現在のコンサートのスタイルは、パデレフスキが作り出したのです。