新米が美味しい季節を迎えています。
今やお米は、産地や銘柄など大変多彩で「あきたこまち」もそのひとつですが、実は秋田のブランド米作りは、今から40年前、たった二人で始められました。というのも、秋田県は米どころでありながら、米の新品種を作り出す「育種」の取り組みは長く行われていなかったのです。
しかし時代の流れで、秋田農業試験場でも育種の取り組みが始まります。
ところが、当時の担当者は斉藤科長と畠山研究員の二人だけ。
しかも育種の経験ゼロでした。
そこで二人は各地の農業試験場を訪ねて猛勉強。
その努力の中で、福井農業試験場の場長から「これが秋田の地に適するのではないか」と研究中の品種を一株だけ、米粒にして384粒をもらい受けたのです。
ここから斉藤科長と畠田研究員のさらなる奮闘が始まり、8年余りの歳月をかけて、ついに昭和59年「あきたこまち」を発表。
お米の美味しさをはかる「食味試験」でも驚きの数値を叩き出して話題となるのです。
ところで「あきたこまち」は種苗登録が行われませんでした。
福井県と秋田県が、その権利をお互いに譲り合ったためだといわれます。
そのお蔭で「あきたこまち」は全国で広く生産されることになって、多くの人々に愛されるお米に成長したのです。