戦国時代の大名、蒲生氏郷は、若き頃、織田信長が、その力量を見込んで、娘の冬姫を嫁がせたほどの武将で、大名として着々と躍進しますが、大変、家臣思いの主君であったことでも知られています。
当時の大名にとって、優秀な武将を召し抱え、その働きに応じて恩賞を与えることは重要なことでしたが、氏郷がまだ発展途上で、充分に恩賞を与えることができなかった時代に、戦場などで功績のあった家臣を屋敷に招いて、酒肴のもてなしをしたといわれます。
当時、風呂に入ることは贅沢なことで、最上のもてなしとされましたが、招かれた家臣は、風呂を勧められ喜んで入ると、外から湯加減を聞く声に驚きます。
なんと、主君の氏郷が自ら薪をくべて風呂を焚いていたのです。
家臣の驚きと感激は大変なものでした。
この氏郷の「蒲生風呂」の話は家中に広まり、家臣達は、いつか自分も入れるようになりたいと懸命に奉公に励むようになったといわれます。
「家臣の働きに報いたい、家臣を労わりたい」という氏郷の思いが伝わり、蒲生家家中では蒲生風呂が、かけがえのない恩賞となったのです。
豊臣秀吉の時代に、氏郷は会津92万石の大大名へと躍進しますが、このときも家臣に惜しみなく所領を分け与えたといわれます。