2015年2月アーカイブ

2/22「よみがえった校歌」

最近、よく耳にする廃校のニュース。
福岡でも昨年、大名小学校などが廃校となりましたが、日本では10年以上に渡って、毎年400校を越える公立の小中高等学校が廃校になっています。
そんな中、廃校になった地元の小中学校の校歌の復活に取り組んだのが、和歌山県の古座川町です。

かつて12校あった小中学校が少子高齢化とともに7校が廃校になった古座川町。そこで、忘れられてゆく校歌を残そうと町長や教育委員会、町の人々が協力して取り組み、歌詞や楽譜が集められたのです。
中には昭和38年に廃校になって資料のない小学校もあり、卒業生4人が記憶をたどりながら復元に取り組みました。

そして、現存する学校の校歌を含め12曲を、町の小中学生や保護者、教職員、卒業生、地元の合唱団など、みんなで手分けして歌ってCDに収録。
古座川の自然豊かな景色を収録したDVDとセットにして完成させると、町内およそ1600世帯すべてに無料配布したのです。

完成発表会では「改めて校歌を聞いて涙が出そうになった」と感激する町民や、また、町外で暮らす出身者からもたくさんの問い合わせがあるなど大きな反響を呼びました。

学校は廃校になっても、学び舎で歌われた校歌は人々の心を結び続けているのです。

2/15「画期的な睡眠薬」

1902年にノーベル賞を受賞したドイツの化学者エミール・フィッシャー。
彼は糖や蛋白質など有機合成化学の偉大な先駆者ですが、ひとつのコンプレックスがありました。
それはいわゆる「話下手」。
人とうまく会話するのがどうも苦手で、大勢の前で講演会をしなければならない時は、話そのものをすべて原稿に書き、それを丸暗記して講演するほどでした。

そんなフィッシャーの趣味は森の散策。ある日の散歩道で彼はヘルマン・ズーデルマンに出会います。
ズーデルマンは数々の名作を書いたドイツの有名な作家。
そのズーデルマンがフィッシャーの姿を認め、駆け寄ってきました。
「フィッシャー先生ありがとう。あなたの発明された睡眠薬のおかげで、安らかに眠れるようになりました。いつでも服用できるようベッド脇に常備しています」

フィッシャーは当時、画期的な睡眠薬:バルビタールを発明していたのですが、そのことを面と向かって礼を言われ戸惑った彼は、慌ててこう返礼します。
「いやいやズーデルマンさん。あなたこそ素晴らしい。私も夜眠れない時は、あなたの小説を読むことにしているのです。よく効きますよ。私もベッド脇にいつもあなたの本を常備しています」

ズーデルマンはフィッシャーに駆け寄ったときと同じ早さで走り去ったそうです。

2/8「無賃乗車の猫」

イギリスの港町プリマスに「通勤猫」と呼ばれる有名な飼い猫がいました。
フィンデンという人が動物保護センターから引き取った年老いた猫です。
暫くは家でおとなしくしていましたが、そのうち毎日昼間の決まった時間に遊びに出るようになりました。

飼い主のフィンデンさんは、どこか近所を散歩しているのだろうと思っていましたが、じつは猫は自宅そばのバス停から毎日10時55分発の3番バスに勝手に乗り込み、18キロほどの路線を1時間かけて往復して帰ってくるのを日課にしていたのです。

バスの運転手の話では、猫は他の乗客に交じって並んでバスに乗り込み、運転席のすぐ後ろのシートがお気に入りで、丸くなってよく寝ているとのこと。
ときには他の乗客の足元に戯れついたりしますが、それでトラブルになったことはないそうです。
また、帰りのバス亭に着いたときに眠り込んでいれば、運転手が起こして下ろしてやるというのです。

その事実を初めて知った飼い主のフィンデンさんは、運転手や乗客たちの親切にすっかり恐縮。バス会社に感謝の手紙を書き、これまで猫が乗った回数分の運賃を支払うことを申し出ました。
するとバス会社からはこんな返事が来たそうです。

「私どもの運行するバスでは70歳以上の高齢者のご利用は無料です。あなたの猫もお年寄りですから、フリーですよ」。

2/1「夕餉前」

きょう2月1日はテレビ放送記念日。昭和28年のこの日、日本でテレビの本放送が始まったのです。
では、日本初のテレビドラマはいつ放送されたのか。

昭和15年4月13日。テレビ放送が始まる13年も前に放送されました。
実はテレビの放送技術は戦前からあり、その実験放送としてドラマが作られたのです。
タイトルは『夕餉どき』。
内容は、娘の縁談がまとまって嫁ぐことになり、夕食のすき焼を家族で囲みながら思い出を振り返るというもの。
当時は録画や編集の技術がなかったので、放送されるドラマは待ったなしの生中継。
ところがリハーサルで、大変な問題が起きました。
当時のテレビカメラは感度が悪く、映すものに強烈な照明を当てる必要があったのですが、その長時間の熱で出演者の髪の毛や衣装がちりちりと焦げ出したのです。

そこで熱に耐えられる限度として、ドラマを15分に縮小。
その時間内にすき焼を作って食べることは無理なので、食事の場面は取りやめ、タイトルも『夕餉どき』から『夕餉前』に変更したのでした。

苦労の末に放送された日本初のテレビドラマ。
実験放送なのでごく一部の限られた人しか見られなかった幻の作品ですが、家族の団らんが主流になっていった戦後のテレビドラマの礎となったのが、この『夕餉前』なのです。

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