今から90年前の大正13年。
鶴のタンチョウ十数羽が北海道の釧路湿原で確認されます。
明治時代に絶滅したと思われていた丹頂鶴の再発見でした。
昭和10年には国の天然記念物に指定されるものの、鶴の保護が進むような時代ではありませんでした。
そして、終戦後の昭和25年頃の雪の朝。
阿寒町に住む山崎定次郎(やまざき・さだじろう)さんが畑でトウモロコシを突いている数羽の鳥を見つけます。
美しい姿に思わず見とれ、タンチョウだと気がついた山崎さんは「何とか生き延びてくれ」と願いを込めて、当時、貴重な食料であったトウモロコシを撒き始めますが、警戒心の強いタンチョウは近づこうともしません。
しかし、山崎さんは諦めず毎朝同じ時間に撒き続け、次第に信頼関係が育まれて、ついに食べてくれるようになったのです。
タンチョウの人工給餌の始まりでした。
その後、給餌は地元の小学校や中学校の子供達を始め、多くの人々に広がり、受け継がれ、厳しい冬に餓死する命を救ってきたのです。
今では1,000羽を超えるまでになったタンチョウ。
「鶴は千年」とめでたさを謳われ古くから愛されてきた丹頂鶴が、今日、冬空を舞うその美しい姿は、多くの心温かい人々の善意と熱意の結実でもあるのです。