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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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12/21「こつだボンタン」

明日12月22日は冬至。昼の長さが一年中で最も短い日です。
冬至には昔から南瓜を食べたり柚子湯に入る風習がありますが、鹿児島では柚子ではなく文旦の皮を湯に浮かべて風呂に入る家庭もあります。

文旦が日本に伝わったのは江戸時代。鹿児島の阿久根で最初に家の庭先に主に観賞用として文旦の木を植えるようになりました。
その一人に、本田小藤太という下級武士がいました。
彼の庭先にも父親の代から文旦の木が何本か植えられていましたが、その中の1本に実る果実が、色つやが奇麗で形もよく、もいでも実離れがよく、さらに食べてみると驚くほど美味しいことに気がつきます。
それが村中の評判になると、小藤太はその文旦の木の枝を次々に切り取ってしまうのでした。
彼は幼い頃から優しい性格で「仏の小藤太」と呼ばれるほど思いやり深い人。
美味しい文旦を村の皆にも分けてやろうと、接木用に切り取っていったのです。

こうして村中の文旦は飛躍的に美味しいものになり、やがて阿久根の特産品となって、農家の収入源として広く栽培されるようになっていきました。

本田小藤太は昭和7年に76歳で亡くなり、庭に残された文旦の原木も昭和20年の空襲で焼けてしまいました。
阿久根市では文旦改良の恩人を称え、阿久根文旦を「本田文旦」「こつだ文旦」と名づけてブランド化しています。