2014年9月アーカイブ

9/28「オリンピックが結んだ絆」

2012年7月、スウェーデンで開催されたストックホルムオリンピック100周年記念マラソンに熊本市の蔵土義明さんが招かれ、温かい声援に包まれました。

明治45年に日本が初参加したストックホルムオリンピックは、当時世界記録を持っていた熊本出身の金栗四三選手がマラソンに出場するも猛暑で倒れ、沿道の民家で介抱されて、そのままレースを棄権したため、行方不明選手として語り継がれました。
その後、金栗氏は75歳のときにストックホルムオリンピック55周年の祝賀行事に招かれ、盛大な拍手の中、スタジアムでゴールインを果たしたのです。

その金栗氏のひ孫にあたるのが蔵土さんで、かつて曾祖父を助けてくれたスウェーデン人家族のひ孫タチアナ・ぺトレさんを訪ねて100年前の感謝を伝え、タチアナさんも見守る中、記念マラソンを走ったのでした。

「曽祖父が走れなかった残りの部分を走ることができた」と笑顔でゴールを切った蔵土さん。
55周年でゴールしても完走した訳ではなかった曾祖父の思いを引き継ぎ、100年の時を越えて、ひ孫が完走を果たしたのです。
そして昨年はタチアナさんが家族で熊本を訪れ、金栗氏のお墓参りをおこないました。

オリンピックが結んだ絆は今も走り続けているのです。

9/21「糸数さんの花心」

沖縄・那覇市内のあるホテル。チェックアウト後の客室に小さな鉢植えが置き去りにされていました。
「せっかく小さな命が咲いているのだから」と、支配人がその鉢植えをホテルの前の空き地に持っていき、そこに植え替えしました。

その様子を見ていたのが、ホテルの前で客待ちをしていたタクシー運転手の糸数さん。
花がひとつだけでは寂しそうだな、と思った糸数さんは、「もっと仲間を作ってあげよう」と花屋で花を買ってきては、その横に次々に植えていきました。
そしてホテルの前で客待ちしている時間を利用して肥料をまぶすなど手入れをしていたのです。

その様子を見ていたのが、タクシー運転手の同僚たち。
愛おしげに花に水やりする糸数さんの姿に引き込まれるように、次々に花を持ち寄っては植えていき、最終的に11人の仲間になりました。

やがてホテルの前の空き地は色とりどりの花が咲く誇る立派な花壇に変身。
ホテルの利用客に好評なので、支配人が花や肥料の購入費用をホテルの経費で出そうと運転手らに申し出ました。
でも糸数さんたちは「自分たちが好きで楽しんでやっていること。それがホテルでも喜んでもらえれば嬉しいですよ」と、断ります。

その後、糸数さんは不幸にも亡くなってしまいますが、タクシー運転手の仲間たちは彼の思いを受け継いで、その後も花を育てていきました。

9/14「時空を超えたボトルメール」

「ボトルメール」・・・これはビンの中に手紙を入れて密封し、海や川に流したものです。
今年の春先、ヨーロッパのバルト海沖合でボトルメールが引き揚げられました。
ボトルメールが漁船の網にかかるのはそれほど珍しいことではないのですが、そのビンは妙に古めかしいものだったため、漁師はドイツの国際海事博物館に持ち込みました。

鑑定の結果、手紙の主はベルリンのパン職人の息子で、20歳のリヒャルト・プラッツさんであることが判明。
ハイキングに出かけたときに、このビンをバルト海に投げ入れた、と書かれていたのですが、驚いたのはその日付。
なんと1913年―101年前に海に流されたボトルメールだったのです。

もちろん本人はもうこの世の人ではありません。
住所を頼りに探し出されたのは、リヒャルトさんの孫アンゲラさんでした。
博物館でその手紙を読んだアンゲラさんの頬には一筋の涙。
リヒャルトさんは孫が生まれる前に亡くなっています。
アンゲラさんにとって一度も会ったことなく名前しか知らなかった祖父。
この手紙を見た瞬間、その祖父がホントに生きていたのだという証を実感した感動の涙でした。

1913年、20歳のリヒャルトさんは、まだ想像さえつかない未来の自分の孫に宛ててボトルメールを出したことになります。
バルトの海は101年を費やして、時空を超えた手紙を届けたのです。

9/7「ドイツ最大の音楽家」

クラシック音楽の世界で、19世紀の終わりから20世紀の初めにドイツで活躍した音楽家の一人が、マックス・レーガーです。

作曲家で、指揮者でもあり、優れたオルガン奏者でもあったレーガーは、オペラと交響曲以外の分野に多くの作品を残していますが、彼の名は音楽史に残るほど一般的には知られていません。

それでもマックス・レーガーといえば、親しみを込めて「ドイツ最大の音楽家」と呼ばれています。
そのわけは、彼の身長が2mで100キロを超える体重だったからです。
さらにその巨体にふさわしく、やはり大食漢。
夕食の直後に市場を散歩したときにソーセージを50本買ってその場で食べ尽くしたとか、ビールを立て続けに10杯一気飲みしたといったような逸話が伝わっています。

レーガーがザクセンの宮廷オーケストラの専任指揮者だったとき、演奏会でシューベルトの『鱒』を指揮したところ、その見事な演奏に感動した客が、立派な鱒をレーガーに送り届けてきました。
そこでレーガーはお礼の手紙を書きましたが、その締めくくりには
「次の演奏会ではハイドンの『牡牛のメヌエット』を演奏いたします。ご期待ください」
としたためたそうです。

この憎めない人柄を以て、マックス・レーガーは「ドイツ最大の音楽家」と呼ばれているのかもしれません。

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