福岡藩初代藩主、黒田長政の父、如水(じょすい)が官兵衛と呼ばれていた頃。
織田信長の天下統一のもとに働いていた官兵衛は、謀反を起こした荒木村重(あらき・むらしげ)を説得するため単身、城に乗り込みますが、捕えられ牢に幽閉されます。
そこは立つこともできない暗い穴倉のようなところで、官兵衛は日に日に衰えていきます。
過酷な環境の中で、長い牢獄生活を必死に耐える官兵衛を支えたのは、村重の家臣で牢の監視役だった加藤重徳(かとう・しげのり)でした。
発覚すれば命の危険もある中、密かに官兵衛を助け世話する重徳に深く感謝した官兵衛は「もし生きながらえて城を出ることがあれば、そなたの子をもらい受け我が子としたい」と約束したといわれます。
城が信長軍に攻め落とされ官兵衛が救出されたのは一年後のことでした。
戦国時代は生き残りをかけて嘘や騙し討ちは日常茶飯事でした。
しかし、官兵衛は約束を守り、重徳の二男を養子に迎えて息子長政の弟のように育てるのです。
これが後の黒田一成(くろだ・かずしげ)で、数々の戦場で見事に戦い、時には長政の影武者を務めるなど活躍して福岡藩の重臣となると、一成の家は代々藩の家老、大老を務めて存続し、明治時代には男爵に叙(じょ)せられています。
戦国時代に守られた約束は永い永い歴史を紡いだのです。