もうすぐ五月。
二日は「夏も近づく八十八夜」で、若葉が萌える茶畑には茶摘みの風景が広がりますが、お茶の産地、静岡では、かつて刀を鍬に持ち替えて、懸命に茶畑づくりに取り組んだ人々がいました。
明治維新の激動の中で江戸幕府の歴史に幕が下りると、徳川宗家は駿府藩に移され石高も大きく減らされて、多くの家臣が苦難の生活を強いられます。
このとき、幕府きっての剣の達人で、将軍を警護した精鋭隊の隊長、中條景昭(ちゅうじょうかげあき)が隊員達と大激論の末、牧之原台地(まきのはらだいち)の茶畑開拓を願い出るのです。
それは刀を捨て農民になるという大きな決断でした。
広大な荒れ地の開墾、茶の木の栽培に苦労を重ね、廃藩置県など時代の逆風にも耐えて、ついに明治六年の五月、初の収穫、製茶を行い、見事な新茶を作りだすのです。
実は廃藩置県の際に明治政府は中條の優れたリーダーシップを高く評価して、現在の知事にあたる県令への任命を内示したのですが、中條は「同志とともに山に入ったからには、牧之原の茶畑の肥やしになる」と断ったといわれます。
今日、日本を代表する大茶園となった牧之原。
そこでは今も、武士の志を持って生き抜いた人々を偲び「牧之原開拓幕臣子孫の会」が開かれています。