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               5/4「おからの先生」
              
  
               徳川幕府8代将軍・吉宗は、享保の改革を行った名君といわれていますが、その吉宗の指南役として活躍したのが儒学者の荻生徂徠(おぎゅうそらい)です。 
さぞや名門のエリートという印象をもちますが、じつはそうではありません。 
徂徠が育ったのは千葉の僻地の寒村。 
学問を語り合う友もなく、父親の数少ない蔵書を繰り返し読んで教養を身につけました。 
やがて独り立ちして江戸に出てきた徂徠は、長屋に小さな私塾を開きます。 
でも、田舎出で無名の学者に月謝を払って入門する者などいません。 
大変な貧乏暮らしですが、若い徂徠は気にせずに勉学に励みました。 
それを見かねたのが、近所の豆腐屋夫婦。 
「お腹の足しに」と、おからと豆腐を毎日のように届けます。 
驚いた徂徠が「せっかくだが、支払うお金がありません」と断ろうとすると、「どうせ売れ残りだから」と言って置いていきます。 
豆腐屋は、食うや食わずの中で学問に励む徂徠に感心し、少しでも助けてやろうと思ったのです。 
おかげで徂徠はなんとか生き延びました。 
やがて世に認められ士官が叶った徂徠がまず行なったのが、世話になった豆腐屋への恩返し。 
少ない俸給の中から毎月3升の米を豆腐屋に届け続けたのです。 
この実話を基にした落語があります。 
『徂徠豆腐』・・・その中に登場する「おからの先生」と呼ばれる男こそ、荻生徂徠その人です。 
              
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