小保方さんのSTAP細胞発見のニュースで、理系の女子、リケジョが注目されていますが、日本初の女性理学博士が誕生し華やかに報じられたのは昭和2年。明治生まれの保井(やすい)コノ、47歳のときでした。
現在のお茶ノ水女子大学の前身である女子高等師範学校理科に学んだ保井は植物研究の道を歩み始め、31歳のときにイギリスの植物専門誌に日本女性として初の論文を発表して国際的に注目されます。
ところが文部省に国費留学の申請をすると「女子は科学に向かない。帰国後も結婚して家庭生活に入るなら税金の無駄使い」と拒否されるのです。
このとき、保井の恩師達が文部省に抗議するなど応援。
アメリカ留学を実現させています。
ハーバード大学で石炭研究を開始した保井は、帰国後、各地の炭鉱へ調査に出かけては研究を重ね、石炭の正体は植物だと見抜いて、従来の「微生物による石炭成因説」に代わる新見解を発表。
この「日本産石炭の植物学的研究」に対して東大の教授会が学位を認定し、日本初の女性博士誕生となったのでした。
女性への偏見や差別との闘いでもあった研究者の道でしたが、保井を指導して導き、応援し続けたのも恩師の男性研究者達でした。
その思いに報いるように、保井も女性研究者の育成に力を注ぎました。