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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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2/16「逆立ちの代わりに」

昭和20年代、日本のマラソン選手たちは「マラソン足袋」という地下足袋を履いて走っていました。
走りやすいのですが、足に豆が出来るのが難点。
そこで靴メーカーの人が、豆が出来ないシューズを作ろうと考え、当時のトップランナーだった寺澤選手に意見を求めました。

「豆が出来ると走るのがいやになるでしょう?」
しかし寺澤選手は「いや、豆を克服してこそ一流の選手」
と反論します。
「でも豆が出来ない靴があればもっといい記録が出るはずです」
と靴メーカーの人が食い下がると、
「そんな靴が本当にできたら逆立ちしてマラソンしてみせますよ」
と寺澤選手は本気にしません。

それから数年後。
二重になった靴底の中に空気を出し入れすることでランナーの足の裏を冷やすという、活気的なマラソンシューズが開発されました。
「やっと出来たので試してみてください」
と寺澤選手にマラソンコースを実際に走ってもらうと、
42.195キロ完走しても足の裏が少し赤くなったほどで、豆はできません。
信じられないという顔をする寺澤選手。

昭和38年2月17日に開催された別府大分マラソン。
寺澤選手は逆立ちしてマラソンする代わりに、アベベのもつ記録を塗り替える2時間15分15秒という世界最高記録で優勝するのです。