長野オリンピックといえば、スキージャンプ団体で日本チームが金メダルに輝きましたが、それを支えたのが25名のテストジャンパーでした。
ジャンプ台の状況を確認するためにジャンプを行う選手で、その結果から審判団は競技の実施を判断するのです。
競技当日、長野は悪天候に見舞われ、金メダルを期待されていた日本チームはメンバーの原田が猛吹雪の中、失速。
1本目のジャンプは4位に終わります。
試合を続行するのか、しないのか。
テストジャンパーが飛ぶことになります。
誰か転倒すれば、飛距離が伸びなければ中止決定です。
「日本になんとしてもメダルのチャンスを!」
テストジャンパー達はその思いを胸に次々に飛び始めます。
雪が降り積もる前に間を開けずに飛ぶことで助走路を固め、次の人を滑りやすくするためでした。
最後に飛んだのは長野出身の西方仁也(にしかた・じんや)。
なんと彼は、その4年前のリレハンメルオリンピックで135mの大ジャンプで日本を銀メダルに導いた選手でした。
ふるさと長野のオリンピックに出場できなかった西方の飛距離はK点超えの123m。
競技は再開され、原田が137mの大ジャンプを決めるのです。
原田が「みんなでつかんだ」と涙で語った金メダル。
それはスキージャンパー達の固い絆が勝ち取ったものでした。