「波が高さ24メートルはあろうかという真っ黒い壁に変身し、打ちつけるように襲いかかってきた。」
まるで昨年のことのようですが、アメリカの自然科学誌「ナショナル・ジオグラフィック」がこれを伝えたのは明治29年。
明治三陸地震を取材した女性ジャーナリスト、エリザ・シドモアが書いたもので、死者、2万数千人という痛ましい惨状を伝えた記事は、世界に初めて「TSUNAMI」という言葉を紹介したことでも知られます。
二度の来日で3年ほど滞在したシドモアは、武士道を尊び、桜を愛する日本人に感銘を受け、桜の美しさに深く魅了されました。
帰国後は紀行作家として日本の素晴らしさを伝えるとともに、アメリカに日本の桜並木をと長年運動を続け、ついにワシントンのポトマック河畔に桜の植樹を実現させています。
しかしその後、アメリカ議会が日本人の移民を禁止する「排日移民法」を通過させると、抗議を込めて毅然とワシントンを去りスイスに移住。
72歳の生涯を閉じました。
その翌年の昭和4年、日本政府はシドモアの死を惜しみ遺骨を、アメリカ領事を務めた兄が眠る横浜の墓地に迎えています。
桜の植樹から100年の今年、ワシントンでは盛大な桜祭りが開催中で、福島の小中学生による太鼓の演奏会も開かれます。
原発事故の後も練習を続けたという子供達の力強い演奏は、日本を愛し、明治の津波の惨状を世界に伝えたシドモアの魂に届くことでしょう。