3/4「囚われの英語教師」
幕末の日本に一人のアメリカ人青年が上陸しました。
彼の名前はラナルド・マクドナルド。アメリカ先住民族の血筋を引く人物で、自分の祖先のルーツは日本だと信じて、それを確かめたくてやって来たのです。
ところが当時の日本は鎖国で、彼は密入国者として役人たちに捕らえられ、長崎の座敷牢に収容されてしまいました。
そんな囚われの身でありながら、穏やかな性格で礼儀正しく、顔立ちもどことなく日本人に似ているマクドナルドに役人たちは親近感をもち、懇切丁寧な世話をするようになりました。
やがて長崎奉行の肝入りでマクドナルドは英語教室の教師に抜擢。とはいえ、座敷牢の格子越しでの授業でしたが、長崎の出島でオランダ語の通訳をしている14人の日本人に英語を教え、この授業は彼が半年後にアメリカに送還されるまで続きました。この14人の生徒たちの中には、幕末から明治にかけて諸外国との外交で重要な役を果たした人が何人もいます。
いっぽう、アメリカに帰ったマクドナルドもまた議会に「日本は法治国家で、日本人は礼節正しく民度も高い」といった陳述書を提出。後のアメリカの対日政策に影響を与えた功労者として知られています。
ところで、長崎の座敷牢で日本人に英語を教えていたマクドナルドですが、同時に彼自身も日本語を勉強し、和紙におよそ500語の簡単な日本語メモを書き残し、それを死ぬまで大切にしていました。
そのメモによると、「Good」は「ヨカ」、「Bad」は「ワルカ」、「Large」は「フトカ」、そして「Small」は「コマカ」--マクドナルドが覚えた日本語は、見事な長崎弁だったのです。
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