坂本龍馬が命を絶たれたのは慶応3年11月15日。
新たな国づくりを目指し奮闘していた人生は、明治を目前に突然ピリオドが打たれました。
そして一人残された妻、お龍(りょう)のその後の人生が始まります。
龍馬の死後、経済的に困窮したお龍は龍馬との縁を頼りに
様々な人々の間を転々とするなど恵まれない生活を送りますが、
そんなお龍を妻として迎えたのが西村松兵衛(にしむら・まつべえ)でした。
このときお龍は入籍して西村ツルとなっています。
龍からツルへ。
そこには新たな人生への期待と覚悟が込められていたのでしょうか。
しかし、横須賀で商売を営む松兵衛との暮らしは貧しく平凡でした。
晩年のお龍は、酒に酔っては「私は龍馬の妻だ」と言うのが口癖となっていました。
松兵衛はそれをどんな思いで聞いたことでしょう。
66歳でお龍が亡くなったとき、松兵衛の妻としての生活は30年に及んでいました。
ところが数年後に多くの人々の援助で墓が建てられると、
墓石には「坂本龍馬之妻龍子之墓」と刻まれたのです。
さらに松兵衛はお龍の骨を分骨して京都の龍馬の墓にそっと埋めたといわれます。
わずか3年の龍馬との日々が忘れられなかったお龍。
その思いを叶えて、松兵衛は半年後に70歳で亡くなっています。
歴史に名を残さず、語られることもない一人の男の、それは愛という名の闘いだったのかもしれません。