春を告げる桜前線が今年も日本列島を駆け抜けていますが、
これから見頃を迎えるのが、奈良県宇陀(うだ)市の樹齢三百年といわれる「又兵衛桜(またべえざくら)」です。
この又兵衛とは豪傑の武将として知られた後藤又兵衛(ごとう・またべえ)の伝説に由来しています。
福岡藩初代藩主、黒田長政に仕えた又兵衛は、
関が原の戦いなど数々の戦場で目覚しい活躍を見せ、その名を天下に知らしめました。
ところが長政との間に深い確執が生じたため、福岡藩を出て浪々の身となるのです。
もちろん名だたる大名達が家臣に迎えようとしますが、
これに対し長政がとったのが、奉公構(ほうこうかまい)という処分でした。
これは他家への奉公を差し止めるという、武士にとっては切腹に次ぐ重罪です。
そんな中、又兵衛を迎え入れたのが徳川方との対決を目前にした豊臣秀頼でした。
これを知った徳川家康からも、なんと大名として迎えるという誘いの声がかかります。
又兵衛は感激しつつも、秀頼の恩に報いる道を選び、大阪の陣を戦い抜いて自害して果てるのです。
そして伝説は生まれます。
実は、又兵衛は密かに逃れて生き延び、再興のときを待ちながら余生を送ったというのです。
後藤家の敷地跡にある見事な枝垂桜(しだれざくら)は、いつしか又兵衛桜と呼ばれるようになりました。
長政を恨まず、しかし武士の意地を貫いた又兵衛。
その潔い生き様を、今年も桜の花が花見の人々の心に刻みます。