いまから百年以上の昔、1887年8月31日、エジソンが発明した白熱電球に特許が下りました。
この日を境に、世界中の家庭に電灯が普及していきますが、実はその電球のフィラメント:光を発する部分には、日本の京都・八幡(やわた)の竹が使われていました。
この竹を見つけ出したのはエジソンではなく、彼の助手です。
エジソンは、20人の助手を世界中に派遣して、1200種類もの竹を集めました。
その助手の一人が日本を訪れ、時の総理大臣・伊藤博文に会い、その協力を得て京都の竹を持ち帰ったのです。
実験の結果、京都の竹は900時間輝き続けるという驚異的な寿命を記録。
電球の実用化の道を開いたのです。
このように、当時のエジソンは研究所に多くの助手を抱え、彼らの献身的な働きによって、さまざまな発明を成し遂げました。
発明王エジソンとそれを支える助手・・・.
その師弟関係を物語る次のような小さなエピソードが残されています。
苦労の末、ついに白熱電球を完成したエジソン。
「これを2階に持って行っておくれ」
そう言って、若い助手に作り上げたばかりの電球を手渡しました。
ところが次の瞬間、助手は手を滑らせて電球を落として割ってしまったのです。
おろおろと謝る若い助手。
しかし、エジソンは何も言わず黙って作業台に戻ると、もう一度電球を作り始めます。
やがてそれが完成すると、エジソンはもう一度その助手に電球を手渡しながら、にっこり微笑み、こう言ったのです。
「今度は慎重にな」!!