8/24「児童福祉の父」
親のない子供たちに愛の手を差しのべたい・・。
その思いを、生涯を通じて貫き、後に「児童福祉の父」と呼ばれるようになった人がいます。
彼の名は、石井十次(いしいじゅうじ)。
明治20年、医者になることを目指し、岡山の診療所で手伝いをしていた石井は、ある日、二人の子供を連れた女性と出会います。
「病気で主人と一番上の娘を亡くし、子供二人を抱えていては働き口が見つかりません」と途方にくれる彼女に石井は心を痛め、上の子を預かることを約束しました。
このことがきっかけで、石井は医学の道をきっぱりあきらめ、日本で第一号となる「岡山孤児院」を開設し、全国から親のない子供たちを受け入れました。
施設の運営は主に寄付金でまかなっていましたが、石井は自分たちの力だけで生活できるようにと、活版印刷部、理髪部、機織り部など、いくつもの事業部を開設。
中でも、施設の宣伝のために結成された「音楽隊」は、当時ではめずらしい本格的なブラスバンドだったこともあり、子供たちの熱演は各地で多くの人々に感動を与えました。
また、震災や大飢饉のたびに子供たちを受け入れるので、一時は1,200人もの大所帯になってしまいましたが、それでも、15人ほどの子供に一人の主婦をつけ、「お母さん」と呼ばせて家族の温かみを体験させるようにしました。
彼はいつも「親のない孤児よりも、かわいそうなのは心の迷い子だ」と口にし、彼らの悩みを親身になって聞いては、それぞれに合った解決策を示すのでした。
石井が亡くなる時、孤児院の出身者たちは、国内はもちろん、海外からも駆けつけて別れを惜しみました。
生前、石井は自分の故郷でもある宮崎にも孤児院を開設し、彼の深い慈愛の精神は、今もなお、脈々と受け継がれています。
|