2007年6月アーカイブ

6/24 放送分 「一滴の水の重み」

昭和53年の夏。福岡市は未曾有の水不足に襲われました。
春先から福岡管区気象台創設以来の雨の少なさ。福岡の街に水を送るダムのほとんどが干上がり、5月から翌年の3月まで、287日に渡って給水制限が続いたのです。

とくに6月から8月にかけての長く暑い夏は、深刻でした。
蛇口から水が出るのは一日のうちわずか5時間だけ。それはまだいいほうで、高台や配水管の末端地域では給水時間でも水が届かず、慢性的な24時間断水の家庭が広がっていきました。
ついに自衛隊が出動。炎天下、給水車に2時間並び、やっとバケツに半分もらうというありさまでした。
ひっ迫していく市民生活。食事はもちろん、洗濯、風呂、そしてトイレの水洗さえままならず。お風呂の代わりに洗面器一杯の水にタオルをかたく絞って、体を拭くだけ。そんな生活が夏の間ずっと続いたのです。

それでも人々は助け合いながら、じっと雨が降る日を待ち続けました。
アパートの4階に住むお年寄りのために水を運ぶ人。「少しでも生活用水の足しになれば」と田畑の耕作を止めて農業用水を辞退する農家もありました。
そして何よりも、水が無くなって初めて、水道の水がどこからくるのかを皆が意識するようになりました。
蛇口の中に水が初めから存在しているのではなく、上流のダム、さらにその奥の水源地域の森林を守る人々のお陰で、快適な都市生活が成り立っていることが見えてきたのです。

一滴の水の重みを教えてくれた福岡の大渇水から29年。いま九州各地の都市と山村との間で、水をテーマにした山歩きや植樹、木こり体験などの交流が進んでいます。

6/17 放送分 「ユニークな結婚式」

6月はギリシャ神話の結婚の女神「ジュノー」の守り月。
ヨーロッパでは6月に結婚すると幸せになれると言い伝えられていて、日本でも、その影響を受け、6月は結婚式が多い月です。

結婚式や披露宴は、それぞれの地域や式場で、伝統的な儀式やユニークなアイデアの披露宴あります。
福岡県で有名なユニークな儀式は、柳川市の結婚式場:勝島(かつしま)が行っている「川上り」。観光で有名な「川下り」とは逆に、式をあげて、結婚式場まで、お堀をどんこ舟で「川上り」をするのです。「下る」より「上る」ほうが縁起もいいし、和傘に白無垢、袴姿の新郎新婦を先頭に、親戚や友人のどんこ舟が連なると、圧巻です。
観光で「川下り」をしている人達や、沿道から見ている人達も、「わぁーきれい!おめでとう!」と祝福の拍手をしてくれます。

一方、宮崎県の日南市、ホテルシーズン日南では、「しゃんしゃん馬の唄」をお祝いの唄として歌いながら新郎新婦が入場します。「しゃんしゃん馬」とは、昔、シャンシャンと鈴の音をあげる馬に花嫁を乗せて、花婿が手綱を引いて結婚の報告をしていた馬のことです。4、5年前は、実際に馬に乗って会場に登場したケースもありますが、最近は馬に代わって人力車で花嫁が登場。その花嫁の手を花婿がそっととるスタイルになってきたそうです。

最近は籍を入れるだけや、写真を撮って記念にするだけのカップル、親戚だけの食事会など、様々な「結婚の節目」の迎え方があります。
これからさらに、「伝統を大切にしながら新しいことを取り入れるユニークな結婚式や披露宴」、また、結婚というスタイルも斬新な考え方が出てくるでしょうね。どうぞ、皆さん、お幸せに!

6/10 放送分 「御船街道ハゼ並木」

熊本県上益城郡(かみましきぐん)御船町(みふねまち)と嘉島町(かしままち)。ふたつの町にまたがって流れる御船川の堤防に「御船街道ハゼ並木」があります。この川沿いの風景は町の住民だれもが愛するふるさとのシンボル。その思い入れは景観の美しさだけではなく、土地の人たちがずっと語り継いできたひとつの歴史が刻まれているからです。

元禄時代の有名な赤穂浪士。討ち入りを果たした大石内蔵助は、沙汰を受けるまで細川藩の江戸屋敷に預けられましたが、その手厚いもてなしに感謝して、「命短い自分のせめてもの恩返しに」と、ハゼの木の栽培を伝授しました。
これを受けた細川藩では各地にハゼを植え、その実からロウを作り出し、藩の財政は大いに潤いました。
そのとき最初に植えられたといわれるのが、御船街道ハゼ並木なのです。

ところが、昭和63年の初夏。未曾有の集中豪雨で川が氾濫。死者が出るほどの被害を出しました。
二度とこのような災害を出さないために、堤防の大規模な改修が行われることになりました。
伐採されることになったハゼ並木。でも、ハゼ並木に対する地元の人たちの思いが、町を動かし、当時の建設省を動かします。
植物学、河川工学などの学識経験者を交えて発足した検討会。その結果、一時はすべて伐採され消えようとしていたハゼの木は、改修された新しい堤防沿いに移植されることになったのです。
とはいえ、古い樹木の移植は技術的に難しく、実際に移植できたのは51本の並木のうち、わずか3本だけ。でも、各方面から人が集まり、知恵を出し合い、惜しみなく時間を費やした、かけがえのない3本なのです。

現在の御船街道ハゼ並木のほとんどは、新しく植えられた若い木。その若い木たちに守られるように、3本の古木がおよそ300年の風雪に耐え、今も並んでいます。

山登りのシーズンを迎えています。
九州では、九重連山が今日山開き。ミヤマキリシマが美しく色づく季節です。

これは、数年前の北海道での話です。
自然を学びの学校にしようという「ネイチャーキッズスクール」の札幌でのこと。およそ40人の小学生の子供たちが、5〜6人で1つの班をつくり、年間を通して、同じ班のメンバーと指導員で行動を共にします。
年10回の自然教室では、晴れても雨でも、森や川、海など、自然の中でしか学べない教室が開かれていました。その教室の後半で、みんなで山登りをする日がやってきました。
ある班には、小学3年生の車椅子の男の子がいました。
車椅子の子供がいると、みんなで、その子を助けたり待ったりしなければなりません。その為、他の班より遅れをとることが多く、はじめは、その子と一緒の班であることを嫌がっている子供もいたようです。
しかし、全員で山に登ることが目的。さて、車椅子の子供も山頂まで、どのようにしたら一緒に登れるか、その班で話し合いが行われました。
車椅子の男の子は、「僕はいいよ」と遠慮して言いました。しばらく沈黙が続いた中、ある女の子がひとつの案を出しました。それは、みんなで、その車椅子の男の子の荷物を少しずつ分けて持って上がること。そして、男の子は指導員におんぶしてもらうのはどうか?という案でした。その案に班の子供全員が賛成。車椅子の男の子を助け合いながら、班全員で山頂まで辿り着き、無事に下山することもできました。

以来、その班は、他の班より結束力が培われ、何でも早くできるようになったそうです。

自ら考えるということが苦手になった子供たちが増える中、自分たちで考え、行動し、それが素晴らしい知恵と友情を生み出した、心温まる話です。

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