2005年9月アーカイブ

9/25放送分 1リットルの涙

最近、涙、流しましたか?
悲しい時、つらい時、悔しい時、嬉しい時、感動した時などに、自然と流れる涙・・・。感情によって、涙の味や量が違うそうです。
起こった時や悔しい時に流れる涙は、しょっぱくて量が少ない。嬉しいときや悲しい時、感動した時に流れる涙は、水っぽくて量も多いそうです。
涙を流すと、心も洗われ、気持ちもすっきりしますよね。

きっと、たくさんの涙を流す映画が、今日から福岡、山口県の10箇所の会場で上映されます。タイトルは「1リットルの涙」。生きることを諦めず、難病と闘い続けた少女の実話を映画化した作品です。
愛知県豊橋市に住んでいた木藤亜也さん。14歳の時、脊髄小脳変性症と診断されました。この病気は、体のふらつきにはじまって、手や指が不自由に。次第に喋るのも発音があいまいになり、最後は寝たきりになる難病です。25歳の若さで生涯を閉じた亜也さん。それから16年。彼女の14歳から21歳までの日記を中心に構成された著書をもとに、今年、映画化されました。
今日から11月までの間に、筑紫野文化会館や、中間ハーモニーホール、飯塚コスモスコモンなどで上映されます。心が激しく揺れ動く日々、家族や友人、主治医たちとのふれあい、将来の夢や不安、周りの人達への感謝などが描かれています。映画を見た人は、「今生きていることを大切にしよう。人に優しくしよう。」と改めて思ったそうです。

実在した、主人公の亜也さんは、きっと、しょっぱい涙も流したでしょうが、最期は、しょっぱくない「嬉しい涙や感動の涙」をたくさん流したことでしょう。

(問;九州共同映画社=092-741-7112)

9/18放送分 年老いたゾウの楽園

明日は敬老の日・・・。人間だけでなく、年老いたゾウにも敬意を表している人がいます。映画「星になった少年」のモデルになった少年のお母さん、坂本小百合(さかもとさゆり)さんです。

年老いてリタイアしたゾウや、動物園の閉園で行き場をなくしたゾウ、病気やストレスから休養が必要となったゾウたちが、安心して過ごせるようにと坂本さんは、千葉県勝浦に「勝浦ぞうの楽園」を今月23日にオープンさせます。
13ヘクタールの山と谷に生い茂る原生林をそのまま生かし、朝夕30分の散歩で、ゾウが好きなように歩いた跡が道となります。雨水の流れをせき止めて作った大きな池は、ゾウの水浴び場。人の手が入っていない山だからこそ、森を切り崩すのは最小限度にとどめ、自然に近い状態の環境を保っていくそうです。

「日本の子供たちを楽しませる為に連れて来られたゾウたちに、老後は、コンクリートの上でなくて、土の上、自然の中で過ごさせてあげたい・・・」その気持ちは、20歳で事故死した、日本初のゾウ使い:息子の哲夢(てつむ)くんの、願いでもありました。中学生の時、ひとりでタイに渡り、ゾウ使いの養成学校で訓練を受けた哲夢くん。日本に帰り、ゾウを訓練し、子供たちに芸を見せてあげたり、ゾウの背中に乗せてあげたりしていました。その一方で、高齢になったゾウの世話が各地で課題となっていることを知り、「日本中のゾウを幸せにしてあげたい」と言っていたそうです。

ゾウは、いったん仲間と認めたら、人間でもゾウでも、相手をいたわり、喜びや悲しみを共にする生き物だそうです。そんな生き方をするゾウを、最期までいたわる坂本さん。その考えに賛同し、ゾウの楽園を応援する会員たちも徐々に増えてきているそうです。
人間だけでなく、生きとし生けるものすべてを敬う気持ちで、明日の敬老の日を迎えたいですね。

9/11放送分 もったいないばあさん

昔、ごはんを残すと、「もったいないおばけがでるぞー」と言われていませんでしたか?今の子供たちの間では、「もったいないばあさんがくるぞー」と言われているそうです。

その「ばあさん」とは、絵本「もったいないばあさん」にでてくるおばあさん。神戸市出身の絵本作家・真珠(しんじゅ)まりこさんの作品で、講談社から出版されています。各地の小学校や育児サークルで読み聞かされ、子供たちに大人気です。この絵本は、真珠さんが、子どもに、「もったいないってどういう意味?」と聞かれたのがきっかけでできたそうです。考えてみると、食料や物が豊富にある日本で生まれ育った今の子供たち・・・。「もったいない」の意味が実感しづらいのでは?と、具体的にイメージできるように、シンプルな絵とことばで描かれています。
ごはんの食べ残し・・・。水の出しっぱなし・・・。日常の中で、たくさんのもったいないことがあることに、改めて気づかされます。絵本の中では、「もったいないばあさん」の力で、くしゃくしゃに丸めて捨てられそうになった紙くずは、怪獣スーツに大変身。短くなった色エンピツは、7本まとめてテープを巻くと、素敵な虹色エンピツになります。

絵本作家の真珠さんは、「もったいないって面白いんだ!という新たな発想を持って、今の時代に即した遊びと工夫の中で「もったいない」の意味を感じてもらえれば嬉しいです。「もったいない」という気持ちで、自然の恵みや作ってくれた人への思いやり、物のありがたさに感謝しながら暮らせたらいいですね。と話しています。

何に対しても、「もったいない」という意識を働かせると、そこから、新しいアイデアや知恵が生まれてきそうです。私たちの横でいつも「もったいないばあさん」がつぶやいているようです。「あ?、もったいない。もったいない・・・。」

9/04放送分 青い目の人形

「人形」を通して平和を願う人がいます。
アメリカ・メリーランド大学のシドニー・ギュ?リック教授=69歳。
20年前から日本の子どもたちに、アメリカの人形を贈り続けてきました。その数およそ200体。人形には、それぞれ名前があり、誕生日や出身地が書かれたパスポートを持っているそうです。その多くはブロンドの髪に青い目。それぞれの人形に特徴があることや、日本の子どもと姿形が異なることも伝えたいということです。人形の購入費や送料は、自己資金で賄っているそうです。その背景には、「青い目の人形」の話があります。

今からおよそ80年前、当時、日本に住んでいた、ギュ?リック教授のおじいさんが、日本とアメリカの架け橋になれば・・と、1926年から「親善人形」をアメリカから日本に贈り続けました。その数、およそ1万3000体。日本からも、お礼に、およそ58体の人形がアメリカに贈られました。この交流には、アメリカと日本の市民、およそ500万人がかかわり、アメリカから贈られてくる人形は、日本では「青い目の人形」と呼ばれ、親しまれてきました。
しかし、その後戦争が始まり、この交流は途絶えてしまいました。

それからおよそ半世紀。ギュ?リック教授は1986年、おじいさんが贈った「青い目の人形」が展示されている「横浜人形の家」の開館式に出席しました。その時「私たちは、新しい人形を贈る必要がある」と思ったそうです。それ以来、毎年、小学校を中心に人形を贈り続け、今年は、原爆の地となった長崎の小学校の児童に、教授自身、足を運び、児童に手渡されました。

日本からも、お返しにと、全米各地に届いた人形は、この12年で、およそ500体。お互いの国の人形を手にした子どもたちの心に、お互いの国、そこに住む人たちを思いやる気持ちが根付くといいですね。

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