2005年4月アーカイブ

4/24放送分 バンドウイルカ フジ

病気で尾びれを失ったイルカの人口背びれを作った人たちがいます。
沖縄美ら海(ちゅらうみ)水族館の獣医さんと、タイヤメーカーの社員です。
バンドウイルカのフジは、3頭のこどもをもつ母イルカで35歳。
今から2年半前の2002年秋、細菌感染症にかかり、尾びれの75%を切除することになりました。しかし、以前のように自由に泳ぐことができないフジはストレスで元気がなくなってしまいました。そんな状態を目にしていたトレーナーと獣医は、「尾びれさえあったら・・」と、ゴムでイルカの人工尾びれを作ることはできないかと考えました。
そこで、獣医は、タイヤメーカーに勤める学生時代の友人に相談・・・。
しかし、これまでイルカの尾びれを作った例はなく、話は難航・・・・・。でも、獣医の「この子をなんとかもう一度自由に泳がせてあげたいんです」の言葉が状況を変え、研究、開発がスタートしました。
研究開発担当者は、勤務後の大半や休日を制作に費やし、イルカトレーナーは、フジに尾びれを触れられることに慣れさせる訓練を重ねました。そして、およそ2年の歳月を経て、世界初のイルカの人工尾びれが完成!みんなのフジへの熱い願い、常識の壁を破った瞬間でした。
フジは、様々な人の想いを身につけて、今では元気に泳ぐことができるようになりました。
かつての死んだような目にも、光を取り戻したようです。
先月(3月)は、特別にジャンプも披露し、高さ3.5メートルの夢を空に描きました。
そのジャンプを見て、車椅子から拍手を送る人や、涙する人もいたようです。
この4月からは、沖縄美ら海(ちゅらうみ)水族館のイルカラグーンというプールで会えるようになりました。
いろんな人の夢と努力を背負ったフジ・・・。
希望と元気を与えてくれそうです・・・・。

4/17放送分 アイ・ラブ・ピース

忍足亜希子(おしだりあきこ)さん。1999年、日本で初めてろう者で映画の主役を演じた女優です。そのしなやかで、優雅で、品のいい手話は定評です。
「アイ・ラブ・ユー」・・・・。その第1作に続いて、「アイ・ラブ・フレンズ」、そして、この度、シリーズ3作目となる「アイ・ラブ・ピース」が完成しました。命と平和をテーマに、地雷による義足のアフガニスタンの少女と、ろう者の義肢装具士とのふれあいを描いた作品です。
アフガニスタンは、途絶えることのない戦禍にみまわれ、今でも国内に1000万個の地雷が埋まっているそうです。映画「アイ・ラブ・ピース」は、アフガニスタンで最も関心の高い、日本の義足製作支援活動を題材にした初めての作品です。また、今までは、ボランティアをされる側と捉えられがちだった障害者の社会貢献、さらには国際貢献をテーマにした作品です。
アフガニスタンの義足の少女役は、現地のオーディションで選ばれ、実際に、地雷によって右足を失ったアフィファちゃん。義足装具士を、ろう者の女優・忍足亜希子さんが演じます。
アフィファちゃんはこのように言っています。「私の国は、私が生まれる前からずっと戦争をしていました。だから、平和がどういうものなのかわかりません。ただ、地雷の恐怖から開放され、どこでも自由に歩けることができるなら、私は、平和を愛します」
忍足亜希子さんのメッセージ・・・。「映画を見て、人に対する思いやり、愛の深さ、そして、平和というものの大切さを感じていただければと思います」

4/10放送分 お子様ランチ

あるレストランでの出来事…。30歳代の夫婦が、二人の夢をかなえる為に、そのレストランに足を運びました。その夢とは…。
「いつか2人の間に子供が欲しいね。そして、その子供がごはんを食ぺられるようになったら、3人でレストランヘ行ってお子様ランチを食べさせてあげたいね。」というもの。
そして、数年後、その夫婦はようやく子供を授かり、いつか一緒にお子様ランチを食べに行くことを心待ちにしていました。しかし、その子供は、わずか2歳半で帰らぬ人となってしまいました。お子様ランチも口にせず…。悲しみの毎目・・、時間がたち・・、子供の命日に、その夫婦は決心しました。
子供に「お子様ランチ」を食べさせてあげることができなかったから、自分たちが、替わりに食べに行ってあげようと…。でも、レストランのメニューを見てがっくりしました。そこには「8歳未満のお子様しか注文できません」と書いてあったからです。
夫婦はあきらめて帰ろうとしましたが、思い切ってお店の人に事情を話して、注文できないかどうか尋ねたそうです。数分後、そのお店の人が戻ってきました。夫婦は、やっぱりダメかと肩を落として席を立とうとしたら…、テープルにお子様ランチが並べられました。しかも、2つではなく、3つ…。
夫婦は、嬉しくて、嬉しくて、涙でほとんどお子様ランチを口にすることはできなかったそうです。そして、帰り際、そのお店の人はこう言ったそうです。来年も、席を用意して、お待ち致しております。」…と。

4/3放送分 1本の木

2004年ノーベル平和賞受賞者、ケニアのワンガリ・マータイさん64歳。
ケニアの農家に生まれ、生物学者を志し、アメリカ留学を経て、1971年ケニアのナイロビ大学で東アフリカ出身の女性として初めて博士号をとりました。
今からおよそ30年前、ケニアの国土の30%をしめていた森林は、2%以下に減り、環境破壊が進んでいました。
そこで、マータイさんは、「国民1人が1本の苗木を植えよう」と呼びかけ、「グリーンベルト運動」をはじめました。
当時は、民衆を組織する危険な存在として何度も逮捕され、こん棒で殴られ、意識不明に陥ったこともあるそうです。
でもマータイさんは、「たった1人になっても、正しいことは正しい」と信念を貫き、心ある人たちと共に、この30年で3000万本の木を植えました。
その人々の中心となったのは女性。単なる自然保護運動だけでなく、植林を通して貧しい人たちの社会参加の意識を高め、女性の地位向上を含むケニアの社会の民主化に結びつけました。
2002年に圧倒的支持を受けて国会議員に就任。2003年にケニアの環境副大臣になりました。
そのマータイさんが、今年、京都議定書の発効に合わせて来日し、このような言葉を残しています。
「資源を効率的に利用する、<もったいない>という価値観が日本にあるのは素晴らしい。世界に広めたい」と・・・。
物のあふれる現代。
先人たちが言い続けてきた「捨てるのはもったいない」ということば・・。
たった一人の<もったいない>が、ごみを減らし、たった一人が植えた1本の木が、森をつくり、地球という大きな惑星を喜ばせるのかもしれません・・・・・。

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