今回は、学芸員の方にお越しいただきました。
コンシェルジュは学芸員の早瀬賢さんです。
早瀬さんは、7月21日にオープンした大野城心のふるさと館に勤務されています。
歴史が専門分野の学芸員早瀬さん。地域の歴史を市民の皆さんに
分かりやすく伝えて、その魅力を伝えていくと言う事と、
大切な宝を、次世代に繋いでいくために保護や保存の仕事をされています。
学芸員と言う資格は国家資格。大学で学芸員資格の単位を全て取れれば
資格は得られます。それからは実技(実際働いて)で技術を磨いていく、
と言う事になります。(早瀬さん)
早瀬さんが携われたのが「大野城心のふるさと館」。
大野城市での歴史的な発掘にも携わられていますが、
大野城市で発見された、九州最大の「牛頸窯跡群(うしくびかまあとぐん)」の
発掘にも関係していたそうです。
焼き物を焼く「窯」は発見されていたけれど、その窯で焼き物を
焼いていた職人たちが暮らした集落が発見されたそうです。
早瀬さんが印象に残っている仕事の一つ。
早瀬さんに大野城とは歴史的に見てどうなのか?を伺うと・・・
「現在も都市圏の隣と言う場所になりますが、
実は昔からそういう場所だった。弥生時代や古い時代で言えば
奴国と呼ばれた国の中の一つとしてありますし、古代になれば
太宰府のお役所のすぐ近くと言う事で、ずっと中心地の中に
含まれていて、様々な役割をずっと担ってきた、そういう地に
なります。」
大野城のおススメスポット、たくさんある中で、早瀬さんにいくつか選んで
もらいました。
水城跡(みずきあと)
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飛鳥時代に、日本が朝鮮半島や中国と、少し緊張関係にあった時に、
国を守るための防衛施設の一つとして、水城というものがあります。
全長1.2キロの土塁(どるい)となっています。何と高さは
8メートルから10メートルほどになります。
牛頸須恵器(すえき)窯跡
古墳時代から閉館時代の初めころ(300年くらい)、
「須恵器」と言う、古代の焼き物を焼いていた窯になります。
それまでは地面に穴を掘って、その上に土器をおいて焼いていた
野焼きと言う焼き方で焼いていたんですが、須恵器と言う焼き物は
朝鮮半島から、全容の窯の中で焼くと言う技術で作られたもので
特徴としては「硬い器」と言うのと「見た目が灰色」。
この窯跡を実際に見る事も出来ますよ。
三笠の森
神宮皇后の笠が森の木にひっかかった伝説から"御笠"と
呼ばれるようになった。奈良時代の日本書紀にも記された伝説の「御笠の森」です。
県道112号線の春町東交差点すぐそば、閑静な住宅街の中にあるこのスポットは、
その言われもさることながら、西南日本の代表的な照葉樹林の姿を残した、
いわば町のオアシス的な存在です!
そして大野城グルメ
鶏ぼっかけ
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大野城市で古くから食べられている料理。鶏の肉や内臓を、醤油ベースの
汁で煮込んで、それをお茶漬けのように御飯にかけて食べる、
そういう料理です。
現在は、大野城市内の飲食店で、鶏ぼっかけと言うメニューで食べる事が
できますよ。
こんな感じで大野城市ってなんだか興味あるスポットですよね?
