コンシェルジュ:クックチャム・プラス・シー 竹下啓介さん
皆さんも1度はお世話になったことがあるでしょう!街のお惣菜屋さん「クックチャム」。
四国発祥の会社で、元々は精肉店でした。竹下さんが勤めるのは「クックチャム・プラス・シー」と言う、クックチャムの
グループ会社です。竹下さんのお母さんが元々働いていた会社が、現在のクックチャム。
そこに入ることになった竹下さんの羽陽曲折の人生から このお話しはスタートします。
?愛媛県の新居浜でお肉屋さんとしてスタートした「クックチャム」。その後お惣菜屋さんとして発展していき、
「クックチャム」と言う名前で現在は全国に70店舗以上を展開しているんです。
元々は「大平屋」と言うお肉屋さん。しかし、時代の流れと共に、大きなスーパーや
ショッピングモールが出来て来て、経営が危うくなった時に、余ったお肉などを使って、
家庭で作っていた料理のレシピをおかずとして売ろう、となり、それを売り出したのが
クックチャム発祥のキッカケなんです。
お肉屋さんの片隅で売り出した「家庭の味」が発祥でした。
竹下さんのお母さんは、このクックチャムに「バイト」として入りましたが、その後、その創業者の方から
経理をやらないか?などと誘われ、あれよあれよという間に、この会社の中核を担う存在になっていたそうです。
幼少時代から、仕事づくめだった母親。しかし、大学を出ていなかった。また、父親も高卒で決して裕福ではなかった、
そんな思いから、自分の子供達だけはそんな思いをさせたくない、という事で、竹下さんは愛媛を出て、
東京の大学を受けて、見事合格!!
?その時はまだ、自分がクックチャムに入ろうとは・・・思ってもいなかったそうです。
逆に親からは、帰って来るな!東京で活躍する人間になってほしい、と言う想いが強かったそうですよ。
その後、大学から就職になる訳ですが、全然受からない。働くって何なんだろうと思った時に、
キーワードが出てきたそうです。
それは母親の影響で「負けず嫌い」な所もあり、「1番になるためなら頑張れる」。という事。
もう一つは、「人が生き生き働く為のサポートがしたい!」。
この2つから、人材派遣会社を受けて見事合格します。
そこでは、営業で1位になるなど活躍しますが・・・
そこは・・・「人が生き生き働く為のサポート」する感じでもなかったので退社。
別の会社に移り、こちらでもバリバリやっていたんですが、会社が統合されることになり、
竹下さんの理念とは反する会社になってしまい、そこも退社する事になります。
大学卒業から走り続けた竹下さんは、久しぶりに四国に帰ります。
そこでの出来事が、竹下さんの生末を決めるのです。
駅まで迎えに来てくれた母親に、「クックチャムで何か買ってきなさい」と言われ
駅前にある「クックチャム」に入ります。実は竹下さんは、後にこのクックチャムの店長に
なるのです。
ガッツリ系が食べたかった竹下さんはボリュームのあるお弁当を選びましたが・・・
店員の黒田さんが、竹下さんの顔色を見て・・・
顔色があんまりよくないから、それよりもこっちを食べなさい!と、
幕の内弁当を勧めてきたそうです。
本当はお肉ガッツリが食べたかった竹下さん。しかし、その時何とも言えない心の
温かさを感じたそうです。
そこで、店員の黒田さんがやった事って何だったんだろう?と考えた時に、
サービスとか、売るだけではない、パートのおばちゃんの一言が、
「イキイキ働く人の為に仕事をする」と決めたあの時の言葉が蘇ってきたそうです。
この会社に入って、生き生き働く人を増やしていきたい!
ここから、クックチャム竹下さんが誕生します。が・・・
やはり、親には猛反対されたそうですよ?。
お母さんは、せっかく東京で素晴らしい会社に勤めていたのに、なぜやめるんだ!と
怒られ、社長にも何故?と言われ、とにかく、クックチャムに入るまでに
半年もかかったんだそうですよ。
この会社に入るのが天命だ!!とまで思った竹下さん。
本気で親に反対されてまでも、自分の信念を貫き、その信念を実現するために
入社した竹下さんでした。
この続きは次回に・・・