今回も、佐賀県嬉野温泉にあります老舗旅館「和多屋別荘」の3代目、
小原嘉元さんと経営企画室室長の緒方伸太郎さんにお話をうかがいました!
和多屋別荘
江戸時代から宿場町として 人々に親しまれてきた「嬉野温泉」。和多屋別荘は、
その頃長崎街道を往来していた島津家薩摩藩が、旅の途中に休息していた上使屋に
端を発しています。和多屋別荘さんの大きな特徴はその広大な敷地。
なんと!嬉野川が敷地の中を流れているんです。
川を挟んでおよそ2万坪。(長さ250メートル、横幅200メートル)その中に宿泊棟が
130ほど、そしてレストラン、大浴場、露天風呂などが川の両岸にある、地形で非常に珍しい
旅館です。
この場所で65年、小原さんが3代目に就任して1年あまり。新しい『和多屋別荘』に
生まれ変わっていると言うお話しで、前回は、この中で、空間とか時間を使って
ゆったりする事が無かった、それを、何てもったいない空間だ、と感じた小原さんが
ゆったり過ごす時間づくりをしたい、と言う事をお話ししていましたが
これが、和多屋別荘の大きな改革のテーマだったんでしょうか?
旅館と言う日本の文化を使った新しいリゾート
小原さん「旅館は、日本の文化、歴史の集積地ではあるものの、
この敷地を最大限に使った日本の新しいリゾート(和多屋別荘さんではリゾート構想と
呼んでいます)そういったものを5年かけて、一つ一つ作っていきたい。
今までの大型旅館は、1泊2食で幾ら、と言う宿泊価値なんですけども
(例:お部屋の広さ、食事の内容などにお金を支払う)
和多屋別荘では、もちろん旅館なので、お部屋や料理は出すものの、
敷地に入ることに対して、料金ををお支払いいただいて、24時間過ごす価値が、
例えば1万5千円と。そういう、宿泊価値を変えていけないかな?と言う事を
日々やっています。
なるほど・・・今までだったら、旅館について、荷物を部屋に置いたら外の観光地に
行って、夕飯ぎりぎりに帰って来て、と言う感じだけれども、和多屋別荘さんは広大な
敷地をお持ちですから、その中でゆっくりと過ごしてもらいたい、と言う事なんですね。
先程、5年をかけて、とおっしゃいましたが、今1年目、完成までどのくらい
進んでいるんですか?
完成はない。工事はサクラダファミリアだ
小原さん「私が社長でいる2,30年の間に完成する事は、無いと
冗談も含めて言うんですけど、ようやく土台が出来つつある。リゾート構想の
片鱗は、お客様に感じてもらえる準備だけが 出来たのではないか、と思ってます。
守っていくものと変えていくもの
その1 ビアガーデンとして利用していた屋上
手作りのベッドを12台置いて、その上にマットを敷いて、番傘をベッドに固定。
東側から上る きれいな月を寝そべってみる事が出来る施設に生まれ変わりました!
その2 フロント月見台正座の間
緒方さんが「フロントまわりも随分と変わりました」とお話し頂いたように、
フロント周りを考えた時に、椅子を置いてみようと考えていたそうですが、旅館なので
時には正座してもらうのもいいのではないか?と言う事で、カラフルな座布団を置いて
そこで嬉野の紅茶を頂けるスペースを作りました。
その3 近代茶室
もともと小原さんの祖父のクラシックカーの車庫だった所を茶室にしました。
このように、元々あった施設のいい部分を残しつつ、新しいものを作り上げています。
守っていきたいモノ、超えてはいけない1線
小原さん「日本の文化の集積地が旅館だと思っていて、いわゆる
茶道、華道など。前回お話ししたように、私の装飾にほとんど意味はないといいましたが
茶道や華道といった400年、500年続いた、千利休が体系化したまま、今まで
変わってないんですね。それと同じように、変えてはいけない、伝統文化を
学んでいる方々から、これはちょっと違うんじゃないか?と言われるギリギリのラインが
あるんです。自分なりに体系化したルールを守ることにしています。
ただモダンに走る、例えば、和室でイタリアンを食べる、このミスマッチいいでしょ?と
言うようなものは、ファッションと一緒で、その年はいいんです。でもわざわざ旅館に来て
イタリアンを食べなくてもいいんです。そういう順序は守っていきたいなと思いますね。」
日々変わり続ける「和多屋別荘」。様々なイベントも行われています。
ホームページやフェイスブックで確認してみてください。
和多屋別荘さんホームページ⇒http://www.wataya.co.jp/index.html
オンエア曲
あまく危険な香り / 山下達郎
There She Goes / シックスペンス・ノン・ザ・リッチャー