日本の柔道が初めて公式種目となった1964年の東京オリンピック。
金メダルの大きな期待がかかる無差別級の決勝で、日本の精鋭・神永昭夫と対戦したのはオランダのアントン・ヘーシンクでした。
ヨーロッパで活躍していた日本人柔道家・道上伯に見出されて指導を受け、さらに来日して講道館などで稽古を重ねた柔道一筋の努力家ヘーシンクは、世界柔道選手権第3回大会で外国人として初の優勝を果たした強豪でした。
神永とヘーシンクの決勝戦は大接戦となり、残り時間わずかで、ヘーシンクが袈裟固めで神永を押さえ込み一本勝ちを決めます。
その瞬間、日本の敗北に静まりかえる大観衆。
喜びを爆発させヘーシンクのもとに駆け寄ろうとするオランダチーム。
それを押さえ込みの体勢のまま手を上げて厳しく制したのはヘーシンクでした。
「畳に上がってはならない」
勝利を喜ぶ前に、対戦相手に礼を尽くして畳を下り闘いを終える。
日本柔道の礼節を守ったのです。
その後、恩師道上のもとへ向い深くお辞儀をして礼を尽くしたヘーシンク。
表彰式後の記者会見で彼はこう語っています。
「これは日本が獲ったもうひとつの金メダルです」
技と心、礼儀としての文化を教えてくれた日本柔道への感謝を伝えたかったのかもしれません。