2019年9月14日「キョウスケとハジメ」
日本を代表する言語学者、金田一京助。
盛岡出身の彼が中学校時代に出会ったのが、3年後輩の石川一でした。
当時文学を志していた京助は、文才溢れる一と意気投合して短歌の同好会を結成。これが二人の友情の始まりでした。
その後京助は上京して言語学の勉強に励みますが、京助を追うように彼の下宿先に転がり込んだのが一です。
一は変わらず文学に情熱を注ぎますが、社会人としては経済観念がなく生活力に乏しい若者でした。
自身も貧しい暮らしをしていた京助ですが、一のために同じ下宿先に部屋を取ってあげたり、爪に火をともすような思いで集めた蔵書を売り払って作ったお金で下宿代を立て替えてあげたりと、物心ともに一を援助したのです。
やがて京助は結婚して家庭を持ち、暮らしに追われながら言語学の研究に邁進しますが、それでも一への惜しまぬ援助は続きました。
なぜ京助はそこまでするのか...。
それはかつて同じ文学の志で結ばれた友情だからこそ、自分の文学への夢を、才能ある一に託しその夢を後押しすることが使命だ、と考えたのかもしれません。
一は不遇のまま26歳の若さでこの世を去りますが、石川啄木のペンネームで出された歌集『一握の砂』『悲しき玩具』のおよそ800首の歌は、後世の読者の胸を震わせる名作として光り輝いています。
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