昭和39年に国立競技場で開かれた東京オリンピックの開会式。
そのシンボルとなった聖火台は命がけで製作されたものでした。
日本はオリンピックの東京招致アピールのため、昭和33年のアジア競技大会開催を目指し、大会のための聖火台の製作を、鋳物の名工、鈴木萬之助(すずき・まんのすけ)さんに依頼します。
「名誉な仕事」と引き受け、夜を徹しての作業が始まりますが、真っ赤に溶けた鉄を鋳型に流し込む「湯入れ(ゆいれ)」という難しい作業で事故が発生。萬之助さんは倒れ入院してしまいます。
納期までわずか1ヵ月。
父の志を受け継いだのは息子の文吾(ぶんご)さんでした。
実は、萬之助さんは事故から間もなく亡くなるのですが、文吾さんが不眠不休で作業に没頭する姿に、家族は父の死も葬儀も知らせないという苦渋の決断を下します。
そして遂に、文吾さんは「湯入れ」に成功。
見事、聖火台は完成し6年後のオリンピックでも聖火が灯されたのです。
その後、「現代の名工」に選ばれ活躍する一方、86歳で亡くなるまで、文吾さんは毎年「父の墓参りのよう・・・」と聖火台を磨き続けました。
文吾さんの息子さんら遺族が引き継いだ聖火台磨きに、今では室伏広治さんなどオリンピック選手や子供達が参加。
父と息子の聖火台は多くの人々の心に温かな火を灯し続けています。