5/19「日本の鉄道の恩人」
明治維新の日本では、西欧との遅れを一刻も早く取り戻すために外国人の力を借りることにしました。
こうして、さまざまな分野から招かれて来日した専門家が「お雇い外国人」と呼ばれた人たちでした。
その第一号となったのが、エドモンド・モレル。
29歳の若きイギリス人青年で、日本に鉄道を建設するために明治3年に来日しました。
モレルはさっそく東京・横浜間の測量から始め、鉄道建設のすべてを日本人に熱心に教えていきました。
その傍ら、将来は外国人に頼る必要がないよう、各分野の技術者を養成する学校を作ることを政府に進言したりもしています。
日本人を愛し、日本の風土を愛したモレルは、寝食を忘れて日本の鉄道建設に没頭。
しかし、過労のために持病の肺結核が悪化します。
それでも彼は毎日工事現場に出てきて、皆を励ましました。
新橋・横浜間についに鉄道が完成し、日本で初めて汽車が走ったのは明治5年。
しかし、その開通式にモレルの姿はなく、一年前に病死しています。
翌日には後を追うように彼の妻も死去。
日本の鉄道の恩人と讃えられるモレル夫妻が眠る横浜の外国人墓地には、二人がこよなく愛した梅の木が植えられ、いまも紅白二色の花を咲かせています。
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