1939年、昭和14年の7月、キングレコード社から童謡の「ナイショ話」が発売されました。
昭和14年といえば、ポーランドに侵攻したドイツに対し、イギリスとフランスが宣戦布告して第二次世界大戦が始まった年です。
日本は不介入を表明するものの、日に日に不穏な空気が高まっていました。
そんな中で発売された「ナイショ話」。
それは子供の心と子供の言葉で書かれた優しさにあふれるもので、多くの人々を魅了しヒット曲となりました。
作詞したのは結城よしを、当時19才の青年でした。
山形県に生まれた結城は、高等小学校を卒業後、好きな本が読めることから書店の店員になって働き、そのかたわら童謡に取り組んでいます。
新聞や文芸誌に投稿したり、仲間と同人誌を発行するなど活発に活動して次第にその才能が認められ、19才の若さで「ナイショ話」が世に送り出されました。
しかし、2年後の昭和16年、日本はハワイの真珠湾を攻撃して、ついに太平洋戦争に突入。
結城も召集され戦争へと駆り出されるのです。
そして、終戦の前年、戦地で病に倒れ小倉の陸軍病院で、駆けつけた両親に看取られて亡くなっています。
24歳でした。
結城の代表作「ナイショ話」です。
「ナイショ ナイショ
ナイショノオネガイ アノネノネ
アシタノ日曜 ネ、母チャン」
生きることが困難な時代に、こんなにも心優しい歌を作り出した青年の未来は戦争に奪われました。
今年も間もなく、戦争を見つめ直す8月を迎えます。
結城が遺したこの歌にも、あらためて耳を傾けてみませんか。