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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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7/12「エルトゥールル号の遭難」

明治23年。
和歌山県串本町の沖合いで、トルコの軍艦が座礁する事故が起きました。
船の名は、「エルトゥールル号」。
船体は真っ二つに裂け、およそ650人もの乗組員が海に投げ出されました。

事故の知らせを聞いた地元・樫野(かしの)村の人たちが浜辺に集まってきました。
そして、運良く浜辺に打ち上げられた乗組員たちに駆け寄り、自分たちの衣服を脱いで彼らに着せ、冷えきった身体を温めてあげたのです。
こうして助かった69人のトルコの人々は、村人たちの住まいに運ばれ、それぞれ手厚い看病を受け、心づくしの食事がふるまわれました。
しかし、樫野は50軒ほどの小さな貧しい集落。
食糧の蓄えはたちまち底をつき、残っているのは非常用のにわとりだけとなりました。
それでも、村の女性たちは、ためらうことなく最後のにわとりを料理して、トルコの乗組員に食べてもらったのです。
やがて元気を取り戻した69人は、日本の軍艦で母国に送り届けられました。

それから95年経った昭和60年。
イラン・イラク戦争が続く中東でのことです。
「48時間後に、イランの上空を飛ぶすべての飛行機を打ち落とす」というイラクからの宣言が世界中に衝撃を与えました。
当時、イランに住んでいた在留邦人は215人。
世界各国がイランに駐留する自国民の救援機を出す中、日本からの救援機は間に合いません。
そのとき、日本人の救出に乗り出したのがトルコでした。
それはイラクが無差別攻撃してくるタイムリミットの1時間15分前。
トルコ航空の飛行機は、イランにいる215人の日本人を乗せて、成田へ飛び立ったのです。

当時の駐日トルコ大使の言葉です。
「私たちは、エルトゥールル号のご恩を忘れていません。いまの日本人が知らなくとも、トルコでは教科書に載っている有名な話で、いまの子供たちも皆、日本人に感謝の心を抱いているのです」