明日、11月26日は「ペンの日」。1935年、日本の小説家や詩人、新聞記者などの文筆家を会員とする日本ペンクラブが発足した記念日です。
初代会長を務めた島崎藤村は、当時、世界各国のペンクラブとの交流を目指し、また日本の文学も海外へ広めたいという大きな夢を持っていました。
翌年には、島崎自身や夏目漱石の作品などがスペイン語に翻訳され、日本の文学がようやく世界に向けて発信されることになります。
ところが、夏目漱石の「こころ」のフランス語訳がパリで出版されたと同時に、第2次世界大戦が勃発。言論の自由はいっきに奪われてしまいます。
日本ペンクラブの存続が危ぶまれる中、会長の島崎藤村は資金集めに奔走。徴兵されたペンクラブの書記長は、活動の再開を願い、戦場でも日本ペンクラブの預金通帳を肌身離さなかったといわれています。
また、ペンクラブの常任理事は、海外で開かれていた「国際ペン大会」からの招待状に「もはや、連絡することすら不可能な状態にある。しかしわが日本ペンクラブは存在する」と戦火の中から返事を送ります。
ようやく終戦を迎えたとき、日本ペンクラブの会員は、戦争をテーマにした作品を一斉に発表します。
これは、国内でも反響を呼び、広島・長崎の惨状を世界に知らしめる役割をも果たしました。
そして1968年。日本ペンクラブの第4代会長を務めた川端康成が、日本人初となるノーベル文学賞を受賞します。
発足して72年の「日本ペンクラブ」・・・。
日本文学が世界との接点を絶やさないように、まるでタスキを渡すように、文筆家たちが守り続けたクラブなのです。