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MORNING JAM

問題です!

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2022-07-19(火)

右側に置くのが「アメリカ式」で

左側に置くのが「イギリス式」

これ、何を置く時の

マナーでしょう?

答え:(コーヒー・紅茶の)カップの取っ手

コーヒーや紅茶をお客さんに出す時に、取っ手が左側に来るように置くのが「イギリス式」、右側に来るように置くのは「アメリカ式」とされる。
あくまで、「右利き」を前提としたマナーだが、

・イギリスは、ミルクや砂糖を入れて、スプーンで混ぜる時に、左手で支えることが多いことから、左側。(クッキーなどを右手で食べて、左手で飲むとする説もあり)
・アメリカは、そのまま飲むことが多いので取っ手は右側になったとされる。

どちらも明確な基準はないが、慣習から、日本では実際にそのような名前で呼ばれている。(飲み方はあくまで自由)
ちなみに、日本の古くからの喫茶店は「イギリス式」で出す店が多い。

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2022-07-18(月)

現在フランスで開催中の、ツール・ド・フランス。

1903年、第1回大会の優勝者であるモリス・ガランが、

2連覇を達成したいがあまり、

第2回大会でやってしまったルール違反。

何だったでしょう?

答え:(途中)鉄道で移動していた

世界最高峰の自転車ロードレース「ツール・ド・フランス」。毎年7月、24日間にわたって、フランス国内を中心に約3300㎞を走破するこの大会は、ヨーロッパでは五輪やW杯とともに、「三大スポーツイベント」の一つとして絶大な支持を得ている。
不正もそれを取り締まるほうも年々、高度化しているが、ツール・ド・フランスの歴史を遡ると、大会黎明期には今では考えられないような大胆な行為もあった。1904年に開催された第2回大会。第1回大会の優勝者であるモリス・ガランが2位の選手を大きく離し、2連覇を達成したかに思えたが、大会終了後、民間人の告発により、ある疑惑が浮上する。
4ヵ月を要した調査の結果、ガランを含む複数の選手がレース中に自転車を抱えたまま、鉄道で移動していたという、とんでもない不正が明らかに。
審議の結果、総合1位から4位の選手が降格処分となり、5位の選手(フランス、アンリ・コルネ)が優勝するという事態になった。ガランは2年間の出場停止処分を受け、その後も現役復帰することはなく、ガソリンスタンドの経営者として余生を送ることになる。
ちなみにこの第2回大会では完走27選手のうち、実に12選手が列車を使ったことで失格になった。第3回大会以降は選手が特定の場所を通過したか、チェックをされるようになり、現在ではコミセールと呼ばれる審判団が選手をきちんと監視するようになっている。

・ツール・ド・フランス:フランス語で「フランス一周」を意味している
・修理道具を背負って走った
 →初期は自転車の故障を自分で直さないといけないルールだったため
・レース中のおしっこ
 →ツールに限らないがレース中に乗車しながら放尿する選手もいる
・変速機が禁止だった理由
 →変速機の開発後も「女子供が使うもの」と長らく禁止されていた

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2022-07-15(金)

サザエさんなぞなぞです。

マスオさんが、みんなを集めて

サッカーの試合。

一番、積極的にゴールを

狙ってる人って、だーれだ?



(原案:T&Yなぞなぞサイト)

答え:波平

マスオさんから見て、波平は「舅」…

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2022-07-14(木)

計算問題です。

芯の直径が4センチ、

全体の直径が10センチの

トイレットペーパーがあります。

長さが1ロール55mだとすると、

使い切るまでに、トイレットペーパーは

何回転するでしょう?

(小数点以下四捨五入)

答え:およそ250回転(250.23)

一番直径が太い、使いはじめは、一周が
10×3.14cm(≒31.4cm)
一番直径が短い、使いおわりは、一周が
4×3.14cm(≒12.56cm)
平均すると、4と10の間、つまり、直径7cmなので、一周が
7×3.14cm  21.98cm
全体の長さは55mなので、
5500÷21.98=250.227....

およそ250回転で使い切る

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2022-07-13(水)

クイズ!ふしぎ歴史エピソード

フランス国王、ルイ14世が1682年に建てた、

豪華な宮殿、ヴェルサイユ宮殿。

この工事で本当に大変だったのは、建物ではなく、

宮殿から8キロ離れた、標高154メートルの

「マルリーの丘」の工事だった、といわれています。

何故、8キロも離れた丘の工事が

必要だったんでしょう?

答え:宮殿まで水を引くため

ヴェルサイユ宮殿は全長550m。700の部屋からなるとても立派な宮殿。そして、庭園には、大きな噴水を備えた、立派な水路や、池が美しく配置されている。この庭園の工事がとても大変だった。
というのも、ヴェルサイユの地は元々、水のない「不毛の地」。水を引くにもヴェルサイユより高い場所に川がない。そこで、8km離れた、標高154mのマルリーの丘までセーヌ川から水を汲み上げて、丘から、新たに作った水道橋で、ヴェルサイユまで水を引いた。宮殿の建設に25,000人が関わったのに対し、庭園にまつわる工事には36,000人が投じられた。

▶実際、この庭園は、自然をも変える力を示すのに役立った。
▶マルリーの丘に水を汲み上げた装置は14の水車と200のポンプからから構成され、「マルリーの機械」と呼ばれた。
▶1684年の完成から、1817年の解体まで、13年間水を汲み上げ続けた。

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2022-07-12(火)

温度が40℃ぐらいだと、

ほどけて自由な状態。

ですが、温度が下がると、

鎖のようにタンパク質が結びついて、


周りの水を中心に閉じ込めます。

これ、何でしょう?

答え:ゼラチン

ゼリーを作る時に使うゼラチンは、動物の皮膚や骨を結合しているコラーゲンの一種。40度ぐらいで溶け、自由な状態となるが、25℃より下がると固まりはじめる。この時、ゼラチンのタンパク質(アミノ酸)が網のように3次元に結びつく。(ゲル化という)
その網目の中に水分を閉じ込めるため、水分が流れ出さずに固まる。
ちなみに、寒天(海藻に含まれる植物質のタンパク質)も、原理は一緒。
ただし、70℃ぐらいで溶け、4~50℃で固まるなど、温度には少し差がある。

※ゼラチンは温度が高すぎると変質してしまい固まらなくなる。80℃以上には上げないこと。

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2022-07-11(月)

長嶋茂雄さんの前に、巨人で背番号「3」を

つけていた、千葉茂さん。

「別々に食べるのが面倒だから」という理由で

千葉さんがお店にお願いして生まれた食べ物。

何でしょう?

答え:カツカレー

卓越した守備とバッティングにより、日本プロ野球の歴史にその名を残す千葉茂(1919~2002年)。現役引退後も指導者や解説者として球界に貢献し、その生涯を通しての功績が認められ1980年には野球殿堂入りも果たした。
1938年(昭和13年)に東京巨人軍に入団。1年目から二塁手のレギュラーとして川上哲治、青田昇らと巨人の第1期黄金時代を築き上げる。1956年(昭和31年)に現役引退。背番号「3」は、戦後から引退後に新人だった長嶋茂雄に譲り渡すまで使用。ニックネームは「猛牛」で、引退後はコーチ・二軍監督を歴任後1959年に近鉄パールス監督に就任、その時ファン投票の結果で球団の愛称をバファローと名付けられたほど。(のち「近鉄バファローズ」に変更。)
カツカレーは、東京・銀座の洋食店「グリルスイス」で1948年(昭和23年)に考案されたと言われている。同店の常連客だった千葉が「別々に食べるのは面倒だから」と注文したことがきっかけ。グリルスイスとその系列店では現在も「元祖カツカレー」と「千葉さんのカツレツカレー」というメニューを出している。

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2022-07-08(金)

どこからか、こんな会話が聞こえてきました。

「今日は奮発して、タフにしようかな」

「じゃあ私は、樽を飲もう」

この2人の「共通点」って、なーんだ?

答え:B型

タフ←ビーフ 「今日は奮発して、ビーフにしようかな」
タル←ビール 「じゃあ私は、ビールを飲もう」
「ビー」が「タ」になってるので、「B型」…

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2022-07-07(木)

選挙にまつわるエトセトラ

公職選挙法、という法律で、

候補者が有権者に配っていいものと

ダメなものが決められています。

「うちわ」は、配っていいうちわと、

ダメなうちわがあります。

配っていい「うちわ」、どんなうちわでしょう?

答え:厚紙に穴を開けたうちわ

公職選挙法は候補者が選挙区内で、「金銭、物品、その他の財産上の利益があるもの」を配ることを禁止(寄付行為を禁止)している。そして、「うちわ」も利益があるもの=有価物にあたる、と判断されている。
しかし、同じうちわの中でも、骨組みと柄でできた一般的なうちわは違反となるが、「丸い厚紙に穴を開けた簡易的なうちわ」であれば、「ビラ」と認識されるため、OKとなっている。

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2022-07-06(水)

クイズ!ふしぎ歴史エピソード

1836年に、土佐藩で生まれた女性、喜多(きた)。

彼女は、明治7年、1874年に夫を亡くした後、

国や県にかけあって

1880年、日本で初めてあることを認めてもらうことに成功。

世界的に見ても、1869年のアメリカ・ワイオミング州に次ぐ

2番目の出来事。

何が認められたでしょう?

答え:女性参政権(選挙権)

日本で女性参政権が認められたのは、第2次大戦後、1945年12月17日。
しかし、それより65年前、1880年に、女性の参政権を認めさせた女性がいた。それが、楠瀬喜多(くすのせきた)。
土佐の車力(人力車夫)の家に生まれた喜多は、19歳で楠瀬実(くすのせまこと)に嫁ぐ。明治維新間もない1874年に夫と死別。子もいなかったため、喜多が戸主(家長)として楠瀬家を継ぐ。
しかし、家長として納税しているにもかかわらず、女性であることを理由に、投票が認められなかった。そこで彼女は、抗議して、納税を拒否。

「女だからという理由で投票できないのはおかしい。権利と義務は両立するはず」と県や国に訴えかける。そして、1880年、選挙規則は自治体が決める、とする法律が成立。喜多は地元行政に働きかけて、日本初の女性参政権を勝ち取った。

※しかし、これは長くは続かず、1884年に、自治体が規則を決める取り決めを廃止。たった4年で女性参政権がうばわれてしまった。運動が各地に広まることを恐れたため、といわれる。

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