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MORNING JAM

問題です!

バックナンバー

2021-06-25(金)

土の中で生活するミミズは、

体から「あるもの」を出しているため、

泥だらけになることはありません。

何を出しているでしょう?

答え:電気(電圧)

私たちは湿った土を触ると手が土まみれになる。
しかし、土の中で生活するミミズは土の中でも泥まみれにはならず、きれいにツヤツヤしているように見える。
そのヒミツは、ミミズが土の中を移動する時に表皮に生じる“電気”。
ミミズの表皮には、40ミリボルトの、ごく小さな電圧が生じている。このミミズの表皮は、マイナスの電荷を帯びていて、プラスの電荷を帯びた土の中の小さな水の粒を、磁石のN極とS極のように引き寄せる。引き寄せられた水は薄い膜のようにミミズの表面を覆い、バリアのように働くので、土が付着することがない。同時に水の膜が潤滑剤の役割も果たすので、ミミズは土の中をスムーズに動くことができる。
この能力は、土や泥を洗い流す必要がないトラクターやブルドーザー、トラックといった車両の開発に応用できるとされ、研究が進められている。

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2021-06-24(木)

2人だと1/3で、3人でも1/3。

4人からは確率が上がって、

10人だとおよそ95%。

これ、何の確率でしょう?

答え:あいこ

じゃんけんのあいこの確率。
2人の時は、自分が仮にグーを出したときに相手もグーを出す確率は1/3。3人の時もあいこになる確率は1/3。
しかし、4人になると、13/27≒48.1%。
5人は51/81≒63%
6人は181/243≒74.5%
7人…82.7%、8人…88.4%、9人…92.2%
10人だと94.8%があいこになる。
(あいこにならないのは、20回に1回!)

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2021-06-23(水)

理科の問題です。

背中に風を受ける「追い風」

の状態で、左ななめ前にあるもの。

何でしょう?(北半球)

答え:低気圧

低気圧は、周囲よりも、気圧が低い場所。つまり、低気圧に向かって、空気が集まり、風が吹く。そして、北半球の場合、反時計回りに渦を描くように、風が吹く。
つまり、風を背にした時に、左ななめ前方に低気圧の中心がある、ということになる。(南半球は、右ななめ前に低気圧がある)
これを「ボイス・バロットの法則」と呼ぶ。

・クリストフ・ボイス・バロットは、19世紀のオランダの気象学者。実はこの法則は、アメリカの気象学者ウィリアム・フェレルが少し早く発見していたが、ボイス・バロットが先に発表したため、この名前がついた。
・陸上、100m走では、風向きが非常に重要になる。6月6日に、9秒95の日本新記録を出した山縣亮太選手。この時の風速は、追い風で、2.0m/sだった。2.0m/sを超える(2.1m/s以上になる)と、追い風参考記録になってしまう。

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2021-06-22(火)

スポーツの問題です。

卓球は、6の倍数の時、以外は使えず、

ゴルフは、サボテンの上に置くのが反則。

これ、何でしょう?

答え:タオル

タオルに関するスポーツのルール。
〈卓球〉
卓球では、タオルで汗がふけるタイミングがルールで決められている。6ポイントごと、つまり、両選手の得点の合計が6の倍数の時に「タオリング」(タオルが使えるブレイク)が行われる。元々は無制限だったが、何度もタオル休憩を挟み、相手のペースを乱すことが問題となり、このルールができた。
〈ゴルフ〉
球がサボテンの近くに止まり、ショットの時にサボテンのトゲがささらないように、サボテンの上にタオルをかぶせるのは反則、というルールがある。(2打罰)(足の方にタオルを巻くのはOK)
他に、ひざをつかないと打てない時に、ひざの下にタオルを敷く、なども反則となる。(コースの状態を変えるのはダメ)

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2021-06-21(月)

今年の夏もプールで涼を取りたいですよね。

以前はアジア最大級のプールで、

水は海水を利用していました。

これ、今のどこでしょう?

答え:羽田空港

コロナ禍以前は、年間約8690万人もの利用があった羽田空港。

江戸時代後期(1800年ごろ)、羽田村沖の干潟が水田開発を目的として干拓され、後にこの干拓地には羽田鈴木町、羽田穴守町、羽田江戸見町の地名が付けられた。幕末には東側に拡張され、江戸防衛のための砲台が設置された(羽田お台場)。
明治時代から大正時代にかけて、干拓地の中にあった穴守稲荷神社に向けて京浜電鉄穴守線(現在の京急空港線)が建設された。穴守駅の近くには京浜電鉄が経営する羽田球場や、遊園地があり、一大レジャー施設だった。その中の一つとして、大正元年(1912年)にできたのが、長さ70m・幅30mの海水プール。プールは、満潮になると海水がプールに入り、干潮になると、一定量残して営業ができる仕組み。
その後、昭和6年(1931年)穴守稲荷神社の隣に飛行場が開場し、これが東京国際空港のはじまりとなる。昭和13年(1938年)の飛行場拡張工事の際に、海水プール周辺も敷地に取り込まれていしまい、閉鎖された。当時プールがあった場所は現在の滑走路。

・レジャー施設の中には陸上競技場もあり、ストックホルム五輪の陸上競技予選会が行われた。

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2021-06-18(金)

なぞなぞです。

「いい話」を始めると

信用されない生きものって、

なーんだ?



(原案:T&Yなぞなぞサイト)

答え:虫

虫が「いい話」をすると、虫のいい話に聞こえる・・・

ちなみに、「虫がいい」「虫の居所が悪い」「虫の知らせ」「腹の虫がおさまらない」などの「虫」は中国・道教の考え方によるもの。
人の体には3匹の虫が棲んでいて、その虫が、人の感情をコントロールしているとされていた。

(“虫がいい”は、自分にばかり都合が良くて、身勝手だ、という意味。体の中に棲む虫だけが喜ぶ、という事から。)

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2021-06-17(木)

計算問題です。

こうじくんは今朝起きると、突然

16センチも身長が伸びていました。

こうじくんの身長が伸びたことで、

クラス全員の平均身長が0.5センチ、

クラスの男子の平均身長が0.8センチ伸びました。

クラスの、女子の人数は何人でしょう?

答え:12人

他の人の身長が伸びていないとすると、単純に、こうじくんの伸びた身長を人数で割った分、平均身長も高くなる。
クラス全員で、0.5センチ伸びたので、
16÷0.5=32→これがクラスの人数。
そして、男子は、0.8センチ伸びたので、
16÷0.8=20→これが男子の人数。
よって、女子は32-20=12人。

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2021-06-16(水)

江戸時代の「言葉遊び」。

「二八(にはち)にゲンコ」。

恋に関する、あまーい意味の言葉です。

どんな意味でしょう?

答え:そばにいたい

独特の「言葉遊び」で様々な言葉が生まれた江戸時代。
江戸時代の風俗、当時の様子を収めた本「合載袋(がっさいぶくろ)」(明治30年・刊)には、「江戸の隠語」も載っているのだが、その中に「そばにいたい」を「二八にゲンコ」と表現している。
江戸時代、「二八そば」という十六文(もん)のそばがあった。そして「ゲンコ=げんこつ」で殴られると「痛い=いたい」から。

その他に、「桶屋(おけや)の前垂れ(まえたれ)」という言葉。これは「忘れた。」
わすれた=「輪擦れた」
輪=「桶の“タガ”」がすれた、ことから。

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2021-06-15(火)

オリンピックの問題です。

これまで1度も、オリンピックに出場したことのない国が、

2019年、陸上競技のナショナルチームを結成。

しかし、まだ国のオリンピック委員会が

できていないため、今回も出場の予定はありません。

この「国」どこでしょう?

答え:バチカン市国

ローマ市内にあるカトリック教会の総本山、バチカン市国。
1929年に独立国家となったが、オリンピックに出場したことはない。
そんなバチカンに、2019年1月、陸上のナショナルチームが発足した。チーム名は「アスレチカ・バチカーナ」。
チームメンバーは60名。18歳から62歳までのメンバー。修道女が1人、司祭が3~4人、あとは、ラジオ局、新聞社、消防署、職員、スイス衛兵などからなる。
さしあたって、ヨーロッパの国際大会への出場を目指しているが、国のオリンピック委員会がないため、まだ出場できていない。

・ちなみに、サッカーのバチカン代表はこれまで何度か国際試合を行っている。初の国際試合は1994年の対サンマリノ戦で0-0。2008年には、アメリカ領サモア戦で6-0で勝利している。FIFAには加入していない。
・前回、2016年のリオデジャネイロオリンピック参加国数は207か国で、過去最多だった。

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2021-06-14(月)

日本で初めて運動会が行われたのは、1874年のこと。

当時は、今とは違う競技の名前が付いていました。

・「つばめのとびならい」は、300ヤード走。

・「ふるだぬきのつぶてうち」は、ボール投げ。

・「とんぼのかざがえり」は、棒高跳び。

では、「かごのにげづる」は何の競技でしょう?

答え:競歩

日本で最初に行われた「運動会」は定説によれば、1874年(明治7年)3月21日、海軍兵学寮(海軍士官の養成所)で行われた「競闘遊戯会」であるとされる。(ただし、1868年に幕府の横須賀製鉄所において技術者・職工らによって行われたものが最初であるとする説もある。)

当時の海軍兵学寮における授業は座学ばかりであった。というのも、当時の日本にはスポーツという概念がほとんどなく、体育の授業は馬術や武道だけで、身体を動かす機会が少なかった。
その状況を見て、イギリス海軍顧問団の団長として日本に滞在していたアーチボルド・ルシアス・ダグラスが、学生たちのストレスを発散させるために運動することを推奨し、開催に至る。
競技は18種目あり、競技名はイギリス人教師たちが作った英語のプログラムを和訳したものだった。
その他の種目としては、
・「あき の むくどり」…600ヤード(550m)徒競走
・「とびのうを の なみきり」…幅跳び
・「ぼら の あみごえ」…高跳び
・「さぎ の うをふみ」…三段跳び などがあった。

この競闘遊戯会に目を付けたのが初代文部大臣の森有礼(もり ありのり)で、全国の学校に運動会の実施を義務付けた。その時に導入されたのが「兵式体操」で、軍隊のような動きを取り入れて規律や秩序を守る人間を育てようとした。現在の「気を付け」「前へならえ」「全体前へ進め」などは兵式体操の名残である。

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