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MORNING JAM

問題です!

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2022-07-12(火)

温度が40℃ぐらいだと、

ほどけて自由な状態。

ですが、温度が下がると、

鎖のようにタンパク質が結びついて、


周りの水を中心に閉じ込めます。

これ、何でしょう?

答え:ゼラチン

ゼリーを作る時に使うゼラチンは、動物の皮膚や骨を結合しているコラーゲンの一種。40度ぐらいで溶け、自由な状態となるが、25℃より下がると固まりはじめる。この時、ゼラチンのタンパク質(アミノ酸)が網のように3次元に結びつく。(ゲル化という)
その網目の中に水分を閉じ込めるため、水分が流れ出さずに固まる。
ちなみに、寒天(海藻に含まれる植物質のタンパク質)も、原理は一緒。
ただし、70℃ぐらいで溶け、4~50℃で固まるなど、温度には少し差がある。

※ゼラチンは温度が高すぎると変質してしまい固まらなくなる。80℃以上には上げないこと。

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2022-07-11(月)

長嶋茂雄さんの前に、巨人で背番号「3」を

つけていた、千葉茂さん。

「別々に食べるのが面倒だから」という理由で

千葉さんがお店にお願いして生まれた食べ物。

何でしょう?

答え:カツカレー

卓越した守備とバッティングにより、日本プロ野球の歴史にその名を残す千葉茂(1919~2002年)。現役引退後も指導者や解説者として球界に貢献し、その生涯を通しての功績が認められ1980年には野球殿堂入りも果たした。
1938年(昭和13年)に東京巨人軍に入団。1年目から二塁手のレギュラーとして川上哲治、青田昇らと巨人の第1期黄金時代を築き上げる。1956年(昭和31年)に現役引退。背番号「3」は、戦後から引退後に新人だった長嶋茂雄に譲り渡すまで使用。ニックネームは「猛牛」で、引退後はコーチ・二軍監督を歴任後1959年に近鉄パールス監督に就任、その時ファン投票の結果で球団の愛称をバファローと名付けられたほど。(のち「近鉄バファローズ」に変更。)
カツカレーは、東京・銀座の洋食店「グリルスイス」で1948年(昭和23年)に考案されたと言われている。同店の常連客だった千葉が「別々に食べるのは面倒だから」と注文したことがきっかけ。グリルスイスとその系列店では現在も「元祖カツカレー」と「千葉さんのカツレツカレー」というメニューを出している。

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2022-07-08(金)

どこからか、こんな会話が聞こえてきました。

「今日は奮発して、タフにしようかな」

「じゃあ私は、樽を飲もう」

この2人の「共通点」って、なーんだ?

答え:B型

タフ←ビーフ 「今日は奮発して、ビーフにしようかな」
タル←ビール 「じゃあ私は、ビールを飲もう」
「ビー」が「タ」になってるので、「B型」…

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2022-07-07(木)

選挙にまつわるエトセトラ

公職選挙法、という法律で、

候補者が有権者に配っていいものと

ダメなものが決められています。

「うちわ」は、配っていいうちわと、

ダメなうちわがあります。

配っていい「うちわ」、どんなうちわでしょう?

答え:厚紙に穴を開けたうちわ

公職選挙法は候補者が選挙区内で、「金銭、物品、その他の財産上の利益があるもの」を配ることを禁止(寄付行為を禁止)している。そして、「うちわ」も利益があるもの=有価物にあたる、と判断されている。
しかし、同じうちわの中でも、骨組みと柄でできた一般的なうちわは違反となるが、「丸い厚紙に穴を開けた簡易的なうちわ」であれば、「ビラ」と認識されるため、OKとなっている。

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2022-07-06(水)

クイズ!ふしぎ歴史エピソード

1836年に、土佐藩で生まれた女性、喜多(きた)。

彼女は、明治7年、1874年に夫を亡くした後、

国や県にかけあって

1880年、日本で初めてあることを認めてもらうことに成功。

世界的に見ても、1869年のアメリカ・ワイオミング州に次ぐ

2番目の出来事。

何が認められたでしょう?

答え:女性参政権(選挙権)

日本で女性参政権が認められたのは、第2次大戦後、1945年12月17日。
しかし、それより65年前、1880年に、女性の参政権を認めさせた女性がいた。それが、楠瀬喜多(くすのせきた)。
土佐の車力(人力車夫)の家に生まれた喜多は、19歳で楠瀬実(くすのせまこと)に嫁ぐ。明治維新間もない1874年に夫と死別。子もいなかったため、喜多が戸主(家長)として楠瀬家を継ぐ。
しかし、家長として納税しているにもかかわらず、女性であることを理由に、投票が認められなかった。そこで彼女は、抗議して、納税を拒否。

「女だからという理由で投票できないのはおかしい。権利と義務は両立するはず」と県や国に訴えかける。そして、1880年、選挙規則は自治体が決める、とする法律が成立。喜多は地元行政に働きかけて、日本初の女性参政権を勝ち取った。

※しかし、これは長くは続かず、1884年に、自治体が規則を決める取り決めを廃止。たった4年で女性参政権がうばわれてしまった。運動が各地に広まることを恐れたため、といわれる。

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2022-07-05(火)

革が伸びるのを防ぐために

補強用のバンドを3本つけたのがはじまり。

これ、何でしょう?

答え:アディダスのスリーストライプ(3本線)

アディダスのシューズといえば、3本線(スリーストライプ)。アディダスの前身の会社が靴を作りはじめたのは1920年代。当時の革製のシューズは、履いている間に中央部が伸びてしまう。それを防ぐために3本のバンドで補強した。

その機能をデザインとして、1949年に商標登録した。

ちなみに元々、兄ルドルフ、弟アドルフのダスラー兄弟が立ち上げた「ダスラー兄弟商会」。兄弟が対立し、1948年に弟アドルフ・ダスラーが「アディダス」設立。一方、兄のルドルフは、川の対岸にルーダ社設立。これが翌年「プーマ」になった。

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2022-07-04(月)

「タカラジェンヌ」を目指す「宝塚音楽学校」で

受け継がれてきた生徒たちの

「暗黙のルール」。

電子レンジを使うとき、しなければいけないこと。

何でしょう?

答え:最後の「チン!」が鳴る前にレンジの扉を開ける

「タカラジェンヌ」を養成する「宝塚音楽学校」。学校は2年制で、1年生は「予科生」、2年生は「本科生」と呼ばれ、高い倍率を勝ち抜いた1学生・40人の少数精鋭。そんな彼女たちには、長年受け継がれてきた「暗黙のルール」が存在する。

その中の1つが…
・生徒が共同生活を送る寮では、電子レンジは「チン!」が鳴る前に扉を開けないといけない。
他にも
・遠くの先輩には大声であいさつ
・先輩への返事は「ハイ」か「イイエ」限定
・先輩の前では、眉間にシワを寄せ、口角を下げる「予科顔」をする
・学校内の廊下は直角に曲がる/壁に沿って一列に歩く
・阪急電車に乗るときは一番うしろの車両に乗る、着席しない
などのルールがあった。

しかし、ハラスメントに対して厳しい時代となった昨今、受け継がれてきたこれらの「伝統のルール」も撤廃が進んできている。

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2022-07-01(金)

なぞなぞのようでなぞなぞじゃない

「かおり」や「あかり」がいて、

「うめこ」や「ひろし」もいる一家。

一番上のお姉ちゃんは、だーれだ?

答え:ゆかり

すべて、三島食品のふりかけの名前。
赤ジソのふりかけ「ゆかり」は1970年発売。
以降、1984年に青ジソの「かおり」、2010年にたらこの「あかり」を発売。
さらに、2020年にカリカリ梅の「うめこ」、2021年には広島菜の「ひろし」などが販売されている。

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2022-06-30(木)

近いところでは、

2019年に神奈川県相模原(さがみはら)市で。

他にも2017年の島根県飯南町(いいなんちょう)や、

2015年の熊本市、2011年の東京・渋谷区などで、

くじ引きが行われました。

何のくじ引きでしょう?

答え:選挙(同数の時の決定)

公職選挙法第95条で、こう定められている。
『当選人を定めるのあたり、得票数が同じであるときは、選挙会において、選挙長がくじで定める』
つまり、もし、同数だった場合はくじ引きで決められる。くじ引きの方法は、それぞれの自治体の選挙管理委員会にゆだねられているが、大体は棒のくじを引く方法で決められる。
票数が多い国政選挙で、同数になる可能性は限りなく低いが、地方選挙ではしばしばくじ引きが行われている。

2019年 相模原市議選・・・最後の1議席で、3158票が並んだ
2017年 飯南町議選 ・・・2議席を巡り3人が260票で並び、1人がくじで落選
2015年 熊本市議選 ・・・4515票で並ぶ

など、2010年以降だけでも8度行われている。

・通常、選挙から3カ月を過ぎると、辞職などで欠員が出ても繰り上げ当選にはならないが、くじによる当選に限り、任期中に欠員が出た場合は無条件で繰り上げ当選となる。

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2022-06-29(水)

クイズ!ふしぎ歴史エピソード

今のドイツ北部やポーランドを領土とした、

プロイセン王国。18世紀にプロイセン王国を

強く、大きな国にしたのが、国王のフリードリヒ2世。

彼は国民の生活を安定させる目的で、

ある植物を育てることを義務化しました。

何を育てなさいと言ったでしょう?

答え:ジャガイモ

ジャガイモは南米原産で、大航海時代の15~6世紀にヨーロッパに渡った。しかし、作物としてはなかなか定着しなかった。
フリードリヒ2世国王の時代、周囲で戦争が絶えず、国民は疲弊していた。
そこでフリードリヒ2世は、やせた土地でも育つジャガイモを広めることを思いつく。種芋を無料で配り、七年戦争(1754~)が始まるとジャガイモの栽培を義務化。ジャガイモはプロイセンの食を支え、国力を支えた。ドイツでジャガイモ料理が多いのはこれがきっかけ。

・ジャガイモはその外見から、嫌われものだったが、国王自ら、毎日ジャガイモを食べてアピールした。
・国の畑のジャガイモが盗まれても、見て見ぬふりをさせた。
・ドイツのビール産業を育てたのもフリードリヒ2世
・サクランボ好きのフリードリヒは、サクランボを食べるスズメに腹を立てて、スズメの駆除を行った。が、今度は毛虫が大発生し、サクランボがやられた。反省したフリードリヒは、以後、鳥類の保護に努めた。

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