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MORNING JAM

問題です!

バックナンバー

2020-08-20(木)

みんな大好き、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の問題です。

2作目の、「2015年の未来」の世界は、

天気予報の技術が劇的に進化。

「秒」単位で、雨が止む時間を予報しています。

一方で、30年経った「未来」でも「相変わらず進歩していない」

とされたサービスは何でしょう?

答え:郵便

1985年から、30年後の2015年に「空飛ぶ」デロリアンで行った時、現地は土砂降り。
ドクが、腕時計型の携帯端末で予報を見て、「5秒で止む」と言い、実際に雨が上がる。
その時にドクが言ったのが、「天気予報は進歩したよ。郵便は相変わらずだ。」(郵便局も気象庁ぐらい正確だといいのだが)
天気予報は、秒単位といわないまでも、分単位の予報は可能になった。(腕時計型端末も実現)
しかし、アメリカの郵便事情の悪さは、今も昔も変わらない。
ということを見事に予言しているシーン。

・ちなみに、バック・トゥ・ザ・フューチャー2のビフ・タネンのモデルは、ドナルド・トランプ。

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2020-08-19(水)

海の生き物の問題です。

インドネシアには

ウミヘビやカレイ、クラゲ、ヒトデなどの

モノマネをする生き物がいます。

そのレパートリーは実に40種類。

何の仲間でしょう?

答え:タコ

その名も「ミミックオクトパス」=「マネをするタコ」。
他の生き物に擬態する生き物は、動物・植物問わず
数多くいるが、「ミミックオクトパス」は、レパートリーの多さで群を抜いている。

腕を広げた大きさは、60cmほどの小型のタコで、色は茶色だが、擬態する時だけ、白と茶色の縞模様になる。
・2本の腕を広げ「ウミヘビ」のように泳いだり
・腕を平らに揃えて「カレイ」
・腕全体をダラーンと垂らして「クラゲ」
・腕5本を広げ「ヒトデ」
・腕を上向きにゆらして「イソギンチャク」
その他、「カサゴ」「アマダイ」「シャコ」など。
正確な数は不明だが、40ほどのレパートリーがあるとされる。

・ダイバーもダマされるほど似ているので、これまでほとんど気付かれず、最初に報告されたのは1998年のこと。
そのため、研究もあまり進んでいない。
・インドネシアでの発見例が多いが、西はアフリカの紅海。南はオーストラリアのフレートバリアリーフなど、かなり広範囲にいる。
沖縄でも発見例がある。

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2020-08-18(火)

最初に作られたのは、明治18年、1885年。

強度を高めるために、コンニャクが加えられ、

そのため、よく、虫やネズミに食べられていました。

表には、大黒天がデザインされたもの。

日本で最初の何でしょう?

答え:日本銀行券(紙幣)

古くは、江戸時代。藩が独自に発行した「藩札」や、
明治政府が発行した、「政府紙幣」などもあったが、
今のお札(日本銀行券)の始まりは、1885年(5月9日)の10円札。
1円札、5円札、10円札、100円札の4種が順次発行され、
表には「大黒天」がデザインされているため、「大黒札」と呼ばれる。

紙の強度を高めるために、コンニャクの粉が混ぜられた。
ただこれがアダとなって、虫やネズミの食害に遭うことが
わかったため、数年で、新紙幣に切り替えられた。

ちなみに大黒札4種のうち、1円札だけは、
今も法律上、使うことができる。(「1円」として)
(古銭としては、数千円~数万円で取引されている)
他3種は1939年に失効している。

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2020-08-17(月)

1929年・夏。

岡本太郎さんの父で漫画家の岡本一平さんが、

白い帽子姿の人で埋め尽くされた様子を描いた漫画を新聞に掲載。

添えられたひと言が定着して、正式名称になりました。

何でしょう?

答え:アルプススタンド

甲子園球場の外野席と内野席の間にある応援席“アルプススタンド”。
このアルプススタンドという名前を付けたのは、昭和初期の漫画家・岡本一平(岡本太郎の父親)。甲子園球場が完成した5年後の昭和4年(1929年)に、内野と外野の間の席が増設され、より高いスタンドが完成。その年の夏、全国高等学校野球選手権大会の取材で甲子園球場を訪れた岡本一平が、観客の白い服装で染まった大きなスタンドをアルプスに例えて漫画で描写した。(スタンドが白色に染まっていたのは、熱中症対策で白い帽子が配られたため。)
朝日新聞に掲載された漫画には「そのスタンドはまた素敵に高く見える。アルプススタンドだ、上の方には万年雪がありそうだ。」と記事が書かれていた。この漫画がきっかけでこの名称が定着し、「アルプススタンド」は正式名称となった。(アルプスに例えたのは、一緒に観戦していた登山家の藤木九三、もしくは息子の岡本太郎であるという説がある。)
ちなみに、昭和11年(1936年)に、外野スタンドが大改造されアルプススタンドに対抗して“ヒマラヤ・スタンド”と名付けられたが、こちらは定着しなかった。

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2020-08-14(金)

なぞなぞです。

英彦山で、道に迷ってしまったこうじくん。

残りの食料は、缶詰が1つ。

缶詰には、ひらがなが1文字だけ

書かれています。

その1文字、な~んだ?



(原案:T&Yなぞなぞサイト)

答え:た

「た」のみの「ツナ」缶が、頼みの綱・・・

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2020-08-13(木)

図形の問題です。

A4のコピー用紙を、

分度器や三角定規を使わずに、

折るだけで「正三角形」を作ります。

最初に、どう折ればいいでしょう?

答え:縦に半分に折る(細長い長方形にする)

①縦に置いた紙を横に半分に折り、また広げて、折り目をつける。
②右下の角が頂点になるように押さえながら、左下の角を、真ん中の折り目に合わせて折る。
③左上の角を、下の折り目に重なるように折れば正三角形の出来上がり。

半分の折り目の部分に、左下の角を合わせた時点で、3つの同じ直角三角形ができ、
それぞれのとがった部分の角度が30°になるので、正三角形が出来上がるという仕組み。

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2020-08-12(水)

人間にも、魚にも

共通して、4つある「穴」。

何でしょう?

答え:鼻の穴

鼻の穴。というと、左右対称に2つ。
だが、実は、分かりにくくなっているだけで
4つある。
目の付け根、目頭のまぶたの裏側に
小さな穴が開いていて、「涙点」と呼ばれている。
涙が分泌される、この穴は、鼻と直接つながっていて、
鼻の穴の名残だと言われている。
(泣くと鼻水が同時に出るのはこのため)
魚には4つの鼻の穴がある。
前方から入ってくる水のにおいを嗅ぎ
その水を後ろにもう一対ある穴から出すため、
4カ所に穴が開いている。

哺乳類は陸に上がり、水を逃がす穴は
必要なくなったが、その名残が、今も残っている。

・ちなみに魚の嗅覚はかなり優れている。
サメは何百メートルも離れた、血一滴のニオイを
嗅ぎ分ける。と言われている。

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2020-08-11(火)

仏教では、人は死後

6つの世界に分けられるとされています。

その中の1つ、「餓鬼道」にひょっとしたら

ご先祖様がいるかもしれない

という理由で、お墓参りの時に行っていること

何でしょう?

答え:お墓に水をかける

宗派や、その家の習慣によっても変わるが、
お墓参りの際に、水を柄杓ですくって墓石にかける家が多い。
これは、清めるという理由ではじまった風習ではない。
人が死後行くとされる世界、六道の1つ
「餓鬼道」は水が無く、食べ物を口に入れようとすると
火になってしまう世界。常に飢えと渇きに悩まされている。
そんな世界に行っているご先祖様がひょっとしたらいるかもしれない。
そこで、墓石に水をかけて、ご先祖様に水を飲んでもらおう
ということから行われるようになった風習。

宗派によっては、墓石に水をかけるのは
ご先祖様、仏様の頭に水をかける無礼な事として
禁じている。

答えはこちら

2020-08-11(火)

仏教では、人は死後

6つの世界に分けられるとされています。

その中の1つ、「餓鬼道」にひょっとしたら

ご先祖様がいるかもしれない

という理由で、お墓参りの時に行っていること

何でしょう?

答え:お墓に水をかける

宗派や、その家の習慣によっても変わるが、
お墓参りの際に、水を柄杓ですくって墓石にかける家が多い。
これは、清めるという理由ではじまった風習ではない。
人が死後行くとされる世界、六道の1つ
「餓鬼道」は水が無く、食べ物を口に入れようとすると
火になってしまう世界。常に飢えと渇きに悩まされている。
そんな世界に行っているご先祖様がひょっとしたらいるかもしれない。
そこで、墓石に水をかけて、ご先祖様に水を飲んでもらおう
ということから行われるようになった風習。

宗派によっては、墓石に水をかけるのは
ご先祖様、仏様の頭に水をかけるぶれいなこととして
禁じている。

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2020-08-10(月)

戦国武将「武田信玄」が、

「山」と呼んで長い時間を過ごした

お気に入りの場所。

どこでしょう?

答え:トイレ

「甲斐の虎」と呼ばれ諸大名から恐れられた戦国武将の武田信玄(1521-1573)。
彼は、トイレにこもる時間が長かった戦国武将として知られている。その理由はトイレが「お気に入りの空間」だったから。
信玄のトイレに対するこだわりは尋常ではなく、自分専用のトイレを作り、「山」と呼んだそう。
軍学書「甲陽軍艦」には「信玄公、閉所(トイレ)を山と仰せられ・・・・」という記載がある。
「山」と呼んだ理由は・・・「山には草木(臭き)が絶えないから」と言われている。
信玄が「甲州山」と呼んでいたという専用トイレは、6畳という広さで畳張り。部屋の四隅には「芳香剤」の役割を果たす「香炉」が置かれた。さらには、人力ではあるが水洗式のトイレだったと言われ、信玄が鈴を鳴らすと隣の浴室から送られる風呂の残り湯で流すという「エコ」な仕組み!
信玄は「山」と呼んだ『トイレ』で用を足すことはもちろん、作戦やアイデアを生む「パーソナルスペース」として活用していたと言われる。

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