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MORNING JAM

問題です!

バックナンバー

2021-01-08(金)

数キロ先の水のニオイを嗅ぎ分け、

自分たちを狩りの対象にする民族かどうかを嗅ぎ分け、

ニオイで物の量を判断し、地雷もニオイで避ける。

犬の2倍以上、鼻が効く生き物。

何でしょう?

答え:ゾウ

ゾウは、10km先の仲間と会話できるほど、
聴覚に優れた動物。
であると同時に、嗅覚も、最も優れた動物。
ニオイを感じるセンサー、嗅覚受容体の数が2000個、
ヒトは400個、イヌは800個、ウシは1100個、ラットは1200個。
そしてゾウは断トツ多い2000個。
数キロ先の水のニオイを嗅ぎ分け、
見えないように隠したエサの量を嗅ぎ分ける。
そして、ゾウ狩りをする民族を嗅ぎ分けるという。

ちなみに、ゾウは鼻の動きで、感情を表したり、
気持ちを察したり、コミュニケーション能力もかなり高い。

鼻はよく知られるように、とても器用で、
仁丹のような小さいものをつかんだり、
豆腐のような、くずれやすいものもつかむことができる。

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2021-01-07(木)

クイズ!アポロ12号(忘れた頃にやってキタ!とたんに最終回SP)

船長のピート・コンラッドが月面に降り立った時の第一声。

「ウヒョー!○○○にとっては小さな一歩だったが、

□□□にとっては大きな一歩だぜ。」

何という言葉が入るでしょう?

答え:「ウヒョー!ニールにとっては小さな一歩だったが、私にとっては大きな一歩だぜ。」

この発言は、11号のニール・アームストロング船長の「人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である。」という有名な言葉をアレンジしたもので、大柄なアームストロング(180cm)と身長160cm台の自分とを掛けたジョークでもあった。
さらに、これは即興で言った発言ではなかった。
イタリア人の女性ジャーナリスト、オリアーナ・ファラーチは11号のアームストロングの発言があまりにも優等生すぎるとして、NASAが事前にそう言うように指示していたのではないかと疑っていた。そこで、ピート・コンラッドと、月面に立った瞬間にこの発言をするかどうかで500ドルの賭けをしていたのである。結局、地球に帰還後コンラッド側が断りお金は受け取らなかった。
ちなみに、コンラッドは帰還後この発言で奥さんにこっぴどく怒られたそう。

・帽子コレクターとして有名だったコンラッドは宇宙服の上から被れる野球帽を作り、月面で被ることを計画。しかし、出来上がった巨大な野球帽を着陸船内にこっそり持ち込むことは不可能だったため、断念した。

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2021-01-06(水)

クイズ!世界を旅する言葉

元々は、インドで、数字の「5」を表す言葉。

それが、ヨーロッパに渡り、

オランダ経由で日本に。

今、日本では調味料の名前になっています。

何でしょう?

答え:ポン酢

柑橘系の果汁としょう油を合わせた、
鍋ものなどに欠かせない調味料、ポン酢。
その語源をひも解くと、インドに辿り着く。

インド、ヒンディー語で「5種類」を意味する「パーンチ」。
お酒と砂糖やレモン汁など5種類をまぜた飲み物で、
それがイギリスに渡り、ヨーロッパに広まった。
(フルーツポンチの起源)

オランダ語では「ポンス」と呼ばれ、江戸時代に、
日本に入ってくる。
はじめは、ヨーロッパと同じ、お酒の名前であったが、
やがて、酸味のある果汁そのものの意味に変化。
「ポンス」の「ス」に「お酢」という漢字が当てられ、
しょう油に柑橘果汁を加えた調味料の意味になった。

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2021-01-05(火)

関東大震災の時の炊き出しを

きっかけに広まった食べ物。

昭和の中頃まで、屋台や駄菓子屋で

食べるのが普通でした。

何でしょう?

答え:おでん

おでんという名前は「田楽」が由来とされている。
焼き田楽からおでんに進化した歴史は諸説ある。一説によると、煮込むおでんになったのは、醤油が庶民に広く普及した江戸時代からとされている。
大正時代には関西へ伝わり、味噌田楽と区別するため「関東煮」と呼ばれた。そこで、味の好みが違う関西で改良され、関西独自のおでんに進化。
そして、おでんの歴史に大きな変化をもたらしたのが、1923年(大正12年)に発生した関東大震災である。
この時、関西の料理人が関東に集まり、炊き出しのボランティアで振る舞ったのが、関西風にアレンジされた「関東煮」であった。その後、民間企業がだしの素のような商品を販売し出すと、おでんも家庭料理として広がり昭和の人気食となった。
それまでは、屋台や駄菓子屋で食べるのが普通だった。

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2021-01-04(月)

今年の干支は「牛」。

牛が、毎日100リットル出しているもの 
 
何でしょう?

唾液(よだれ)

(牧場にいるような家畜としての)牛は、
1日当たり40~60kgの飼料を食べ、60~120ℓの水を飲む。当然、「出るもの」も大量。
1日当たり45~50kgの糞と15kgの尿を排泄する。
また、乳牛はおよそ40リットルの牛乳を出す。
それ以上に大量に作られているのが「唾液」。牛はいつも口を開けて、細く切れ目なくヨダレを垂らしている。  
「商いは牛のよだれ」(切れ目なく長く垂れる牛のよだれのように、気長く努力せよ)という慣用句があるくらいで、
その量は1日あたりおよそ100リットル!   
草食動物のエサは固い繊維で覆われているので、食べたものを水分で湿らせ、
のどの通りを良くするために大量の唾液が必要となる。干し草を食べるときはより多くの唾液が必要で200リットル出す牛もいる。 (人間は1日当たり1.5リットルくらい。)
ちなみに・・・牛は、平均して毎分1回げっぷをし、毎日約500リットルの無臭のメタンガスを口と鼻から出す
「食べてすぐ寝たら牛になるよ」とよく言われるが、実は牛は睡眠時間が短く、3時間程度。

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2021-01-02(土)

なぞなぞです。

全く採用する気がなさそうな面接官が、

朝飲んできたものって、なーんだ?



(原案:T&Yなぞなぞサイト)

答え:お屠蘇

「落とそう」としている面接官が飲んだのは、「お屠蘇」・・・。

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2020-12-31(木)

もういくつ寝ると、お正月♪

スペインでは、大晦日の夜に

鐘の音を聴きながら、

年越し蕎麦ならぬ、あるものを食べます。

何を食べるでしょう?

答え:ブドウ

スペインでは、大晦日の深夜0時に鳴る12の鐘の音(ドセ・カンパナーダス)に合わせてブドウを食べる風習がある。
3秒に1回鳴る鐘の音とともに1粒のブドウを食べ、3秒×12=36秒間に12粒を全てを食べ終われば、幸先よく新年を迎えられると言い伝えられている。プエルタ・デル・ソルの時計の鐘の音はスペイン全国にもテレビで生中継され、茶の間でも鐘の音に合わせてブドウを頬張る。八百屋で年越し用のブドウが大量に売られるのはもちろん、スーパーや広場でも年越し専用に12粒のブドウが入った缶詰や袋詰めが販売される。
これには1909年、大豊作で余ったブドウを、農家が「好運を呼ぶ12粒のブドウ」と称してプロモーションし、スペイン国内で広く民衆の間でも食べられるようになったという説がある。

・この風習はスペインが起源とされ、今ではメキシコやベネズエラなど南米にも広がっている。
・他にも、赤い下着を身につけて年を越すと幸運を呼ぶというジンクスもある。

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2020-12-30(水)

元々は年に5回食べていたけど、

今は、年に1回だけになった料理。

何でしょう?

答え:おせち料理

「おせち料理」は「御節供」の略で、
年に5回ある節供の時に、備えるための供物。

年に5回の節句とは、
 ・1月7日の七草の節句
 ・3月3日の桃の節句
 ・5月5日の端午の節句
 ・7月7日の七夕の節句
 ・9月9日の菊の節供
この5回の節句の祝儀料理全てが「おせち」だったが、
最も重要な正月料理だけを指すようになった。
(1月7日だけでなく1月1日から7日まで祝った)

原型は弥生時代までさかのぼり、
重箱につめる今の形になったのは、江戸時代とされる。

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2020-12-29(火)

1954年以降、日本の法律で

義務づけられていること。

江戸時代は、これが終わった後、

くじら汁を食べて、胴上げするのが

慣わしとなっていました。

これ、何でしょう?

答え:大掃除

一年分の汚れを除去し、新たな年に、歳神様を迎える準備として行われる大掃除。
日本では、1954年に制定された「清掃法」以降、大掃除が義務づけられている。(ただし、実施時期は年末でなくてもよい)
江戸時代には、煤払いとして、12月に行っていた。
煤払いを終えると、滋養強壮と長寿祈願を兼ねて「鯨汁」を食べた。
また、煤払いの後は、誰彼かまわず胴上げするのが慣わしとなっていた。

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2020-12-28(月)

歌詞クイズ♪

ああ友よ、この音楽じゃない

走れ兄弟よ、あなたたちの道を

抱き合おう!そして、このキスを全世界に!

曲のタイトルは、何でしょう?

答え:歓喜の歌/歓びの歌(第九)

日本では「第九」(だいく)とも呼ばれ、演奏会が年末の風物詩にもなっている、ベートーベン作曲の「交響曲第9番」。
その中で、荘厳な合唱を伴って演奏される第4楽章の第一主題は『歓喜の歌(歓びの歌)』として親しまれている。
歌詞のベースとなっているのは、ドイツを代表する文豪「シラー」が書いた詞「歓喜に寄せて」。
ベートーベンはフランス革命から3年後の1792年、22歳の時、シラーの詩“歓喜に寄せて”と出会い深く感動、いつかこの詩に曲をつけたいと心に秘めていた。
そして約30年後の54歳の時、ベートーベンがつけた詞と、シラーの詞の一部を用いた「歓喜の歌」をはじめとした「第九」が完成。
1824年、ウイーンでベートーベン自らの指揮で初演された

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