fmfukuoka

番組紹介

放送時間毎月第1・第3日曜日19:00-19:55
出演者孫文/永淵 幸利
梅屋庄吉/二橋 康浩
宮崎滔天/山下 晶
頭山満/矢山 治
平岡浩太郎/美和 哲三
宋慶齢/渡辺 美穂  他

1911年、孫文を中心人物として起こされた「辛亥革命」。
この革命に、たくさんの日本人、それも九州の人たちが関わっていたことをご存知でしょうか?
この番組は、そんな中国の王朝時代を終焉させ、共和制を確立させた「辛亥革命」に命をかけた孫文と
九州人の物語をラジオドラマとしてお送りしてまいります。


筑前玄洋社 その1

| コメント(4)

 孫文の辛亥革命を助けた九州人ー。
 10月21日(日)の第2章では長崎出身の梅屋庄吉。11月4日(日)放送は、熊本県荒尾の宮崎滔天が語りとなります。

 というわけで、第4章担当しました高野龍也です。

 梅屋庄吉、宮崎滔天はそれぞれ、地元では見直されたり、ずっと尊敬され語り継がれるような存在なのです。

 第1章から登場し、第4章、第5章を中心にして登場する頭山満を中心とする玄洋社は、残念ながら、歴史に埋もれています。

 頭山満は、孫文の葬式にまで列席し、日中が戦争状態になったときは、孫文の後継者である蒋介石から日中講和の仲介も依頼されるなど、中華民国と長い付き合いをしました。

 玄洋社は、明治から昭和初期にかけて、政界・財界に多大な影響力があったとされています。

 第二次大戦後、GHQは「日本の国家主義と帝国主義のうちで最も先鋭な一派」ということで玄洋社を解散させます。
 このことがもとで、玄洋社は「どうにも怖い一派」というイメージが残り、玄洋社の荒仕事や力仕事ばかりが喧伝されるようになっているようです。

 でも、調べれば調べるほど、玄洋社にはいろいろな顔があることがわかってきます。
 
 司馬遼太郎先生は「竜馬がゆく」の中で、海援隊のことを、商業だけではなく、教育や思想の啓蒙、政党でもありメディアでもあった、という具合に、多彩な側面と後世への影響力を高く評価していますが、玄洋社もそれに匹敵するのでは? と感じるほど。

 玄洋社の前身向陽社は向陽義塾という学校を設立し、それが後の県立修猷館高校に。
 玄洋社が発刊した「福陵新報」という新聞は、西日本新聞の源流に。
 玄洋社から輩出した主な著名人は、川上音二郎、杉山茂丸、明石元二郎、中野正剛、緒方竹虎、中村天風、広田弘毅などなど。安川敬一郎、夢野久作なども、玄洋社と密接な関係がありました。

 「玄洋社あるある」のごく一部を書きだしただけですが、多彩すぎて玄洋社のなんたるかがもう説明しにくい...。
 ですが、日本の近代化とか、福岡の発展にものすごく寄与していることはわかっていただけるのではないかと思います。知らないうちに、ボクたちも玄洋社の影響や恩恵を受けているのではないかと思います。

 ボクもまだまだ玄洋社に関しては勉強中です。
 また近いうちに、玄洋社について何か書きたいと思います。

 それでは!
 
 

コメント(4)

現在、第5章を録音中。というテスト送信です。

わーい!書き込めた。

玄洋社については、「右翼」というマイナスイメージが先行していますが、それは悲しい事です。
福岡市発展の父・進藤一馬も玄洋社です。
玄洋社の源流を辿れば、福岡士族・興志塾・筑前勤王党・亀井一族・貝原益軒にまで思想的系譜がつながると思っています。
こうした歴史は非常に大切で、汚名のまま語られるのは筑前人として非常に悲しい次第です。

そうした汚名を晴らすような作品を期待しています。

筑紫弾佐衛門さん

実は、玄洋社の名誉回復は、福岡・九州の企業名士の願いでもあります。
薩長のように政治を執る側にあれば、それは桜田門外も生麦事件も、正当性を持ってテロとは一線引かれますが、近いところにあっても玄洋社は、日本政治の黎明期に振るった豪腕ぶりから、簡単に「右翼」と片付けられてしまいます。

しかし、そのような括りだけでは、中江兆民や大杉栄を気に入って親しくしていた理由は見えてきません。

彼らは政府の強権と戦っていたことを見、その時代に生き残った侍の姿として読まなければ、玄洋社を知ることにはならないですね。

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