1964年の東京オリンピック・男子マラソン。
国立競技場のトラックに2位で戻った円谷幸吉は、大歓声の中、ゴールのわずか200m前でイギリスの選手に追い抜かれて3位銅メダルとなりましたが、
陸上競技唯一のメダルに国中が歓喜に沸きました。
一方、メダル有力候補だった君原健二は8位に終わったのです。
ライバルで親友でもあった円谷選手の栄光に、君原選手は複雑な思いであったと言います。
そして、次のメキシコシティーオリンピック開催年の1月。
メダル獲得へ高まる期待と重圧の中、円谷選手が自ら命を絶つという陸上界痛恨の事態となります。
衝撃を受けた君原選手は葬儀で「メキシコのオリンピックで日の丸を掲げることを誓う」と弔文を捧げ、見事銀メダルを獲得して約束を果たしたのでした。
実は、君原選手もゴール直前で3位の選手に迫られました。
走っているとき、後ろを振り返ることはほとんどないという君原選手でしたが、この時は振り返って気がつき、わずか14秒差で逃げ切ったのです。
「円谷君が振り返らせてくれたのかも知れない」という君原選手。
それから52年を経た今年、君原選手は円谷選手の故郷、福島県須加川市の聖火ランナーに応募して選ばれ、亡き親友と心をひとつにオリンピックの聖火を掲げ走ります。