2020年5月16日「安全第一物語」
工場や工事現場などでよく見かけるのが、「安全第一」という標語です。
安全を第一に考えることは当たり前のことだと思いますが、昔は当たり前ではなかったのです。
明治の日本では産業の近代化が急がれ、工場では西洋の機械を導入し、石炭の採掘が広がっていきました。
生産量を上げるために、工場や採掘現場で働く人々は劣悪な環境の中で危険な作業を強いられ、多くの人が怪我をしたり命を落としたりしていたのです。
しかも、労働災害はやむを得ないものと思われていました。
そんな考え方を変えたのは、土木工学の技師・小田川全之です。
当時、有害物質が河川に流れ出して周辺の人々を苦しめていた足尾鉱毒事件を受け、それを防止する土木工事を成し遂げた小田川は、その功績によって足尾銅山の所長に就任します。
そして、過酷な銅山の現場で苦しむ労働者の姿に心を痛めました。
そこで小田川は、「安全第一」と記した標語を工場に掲げ、自ら社内報を作って安全第一を促す講話を掲載します。
さらに「安全心得読本」を執筆して労働者全員に持たせたのが大正4年。
この試みが功を奏して労働災害は激減し、労働者が安心して働ける職場となったのです。
全国へと広がった小田川全之の「安全第一」は標語となって、きょうも働く人々の背中を見守っています。
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