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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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2019年11月2日「ワールドカップ日本誘致の夢」

いよいよ世界最強を賭けて決勝戦を迎えるラグビーWカップ日本大会。
伝統のラグビー大国がひしめく中、それまで一度も予選リーグを突破したことがない日本を舞台にWカップが開かれることは誰にも想像できませんでした。

ただ1人、「Wカップを日本で!」と熱く語っていた日本人がいます。
その人の名は奥克彦。
高校・大学時代にラグビー部で活躍し、1981年に外務省に入省。
留学したオックスフォード大学でラグビー部に入り、日本人として初めてレギュラーとして公式戦で活躍しています。

奥克彦はロンドン在住で外交官として英国の政財界にも広い人脈を築きながら英国の関係者に、さらには日本に戻って政府関係者にラグビーWカップの日本誘致を訴え続けました。
その結果2009年、国際ラグビー評議会は2019年のWカップをアジア初の日本で行なうことを決定したのです。

しかし、その決定を奥克彦が知ることはありませんでした。
2003年、イラクで復興支援の先頭に立って活動する中でテロの銃撃に巻き込まれて殉職したのです。

Wカップ日本大会が開幕する直前の9月18日、早稲田大学とオックスフォード大学の親善試合が行なわれました。どちらも亡き奥克彦の母校。
その試合は、Wカップの日本誘致に情熱を注いだ奥克彦をリスペクトし追悼する「奥記念杯」と名付けられたのでした。