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提供:創価学会
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2019年8月31日「無線通信士の大奮闘」

96年前の大正12年9月1日に発生した関東大震災。
テレビもラジオもなく通信手段も乏しかった時代に、甚大な災害発生を伝えようと大奮闘したのが無線通信士達でした。

東京・横浜が壊滅状態の中、難を逃れた横浜港の十数隻の船舶には避難民が殺到。
三千人余りがごった返す「コレア丸」には神奈川県警察本部長が泳ぎ着き、急遽「救済本部」が設置されます。
救援を求める手段は船舶無線しかありません。
ところが空の上は大量に発信された電波で大混乱状態に陥っていたのです。

凄まじい混信を止めなければ通信は不可能と判断した「コレア丸」の川村通信士は、逓信大臣の許可を受けずに、すべての通信の中止を命じる「オール・ストップ」を連打。
これは通信法規上の違反行為でしたが、非常事態の中での勇気ある決断でした。

これを受けた通信士達の冷静な判断も加わり、通信は次々にストップ。
こうして「本日正午大地震大火災起こり、死傷幾万なるやも知れず、至急救援たのむ」と公式の第一報を発信した川村通信士は、仲間と抱き合って号泣したといいます。

その後四昼夜にわたって必至の打電を続け、これを陸上の無線局が大阪など各地に仲介。
無線通信士達の懸命の努力が救援を早め、多くの人命救助を果たしたのです。