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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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2019年7月13日「戦場の投げ文」

今から115年前、明治37年に起きた日露戦争。
とりわけ旅順の攻防戦は熾烈な争いとなりました。
その極限の戦場で、こんなエピソードがありました。

日本軍とロシア軍が対峙しているときのこと。
ロシア軍の陣地から日本軍の陣地におもりを付けた封筒が投げ込まれたのです。
それを拾った日本兵が開けてみると、中にロシアの貨幣と手紙が入っています。
手紙にはロシア語でこう書かれていました。
「日本の将校にお願いする。私の母に電報を打ってもらいたい。電文は"自分は元気でいる"としてほしい。その費用として10ルーブルを添えた」
手紙の末尾には届けるべきロシアの宛先が記されています。

翌日、今度は日本の陣地からロシアの陣地に手紙が投げ込まれました。
手紙の内容は次の通り。
「君の電報は使いを指令本部に遣わして打電させた。電報は上海を経由して君の母の手に届くであろう。料金は足りないが、我々は君の母を思う情に打たれ、個人として喜んで不足分を補っておいた」

この話は当時の「富士日報」の記者が伝えたものです。
極限状態の戦場で敵どうしとして対峙する間柄であっても、親を想う気持ちに隔たりなどなく、人と人との間では敬意や礼節、思いやりを忘れない。
人として大切なものとは何かを語りかけてくるようです。