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提供:創価学会
FM福岡(土)14:55-15:00
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2019年6月15日「こちらはカモメ号」

「私はカモメ! 私はカモメ!」
1963年6月16日、地球を回る旧ソ連の宇宙船ボストーク6号から世界に向けて「私はカモメ」という言葉が発信されました。
声の主はワレンチナ・テレシコワ。当時26歳だった、世界初の女性宇宙飛行士です。

東西冷戦の時代、ソ連は西側に宇宙開発の情報が漏れるのを避けるため、宇宙船のコールサインを動物や植物から名付けることになっていました。
テレシコワさんが乗り込んだボストーク6号のコールサインは「カモメ」。
だから彼女が発信した言葉のニュアンスとしては「私はカモメ」ではなく、「こちらはカモメ号」という地上基地への単なる呼びかけでした。

ところが、その言葉をキャッチした西側の国が、ロシアの文豪チェーホフの有名な戯曲『かもめ』を想像しました。
この中で、愛を失い人生にも苦悩を重ねる主人公が、望みを捨てず、いつか飛び立つことを夢見て「私はカモメ」と何度もくちずさむ場面があります。
テレシコワさんが、この戯曲に合わせて想いを伝えたのだろうと、全世界が、勘違いしてしまったのでした。

その一方であまり知られてはいませんが、宇宙から地球を眺めたテレシコワさんはふるさとの母親を思い、地上基地にこのような言葉も発信しています。
「わが母と、世界のすべての母親が幸せでありますように。」